2017年11月30日木曜日

ちびロボ!

「みんな、いろいろ、なやんでるんだ」

ちびロボのテレビCMに使われたキャッチフレーズである。
当時、僕にとってゲームとは「スーパーマリオ」とか「ゼルダの伝説」とか、僕が操作している主人公が旅をして悪やらボスやらを倒しに行くものだった。
勿論ほかにも育成ゲームとかパズルゲームとかが色々と種類があるのは知っていたが、少なくとも「グリーングリーン」の歌の合間に「みんな色々悩んでるんだぜ」と言われるようなゲームには出会ったことがなかった。

どんなゲームなのかCMからは想像が出来ない。
しかし......おもしろそうな感じがした。やりたいと思った。

ちびロボをプレイする機会は割とすぐに訪れた。
当時(2000年頃)、デパートのおもちゃ売り場に行けば、発売中のゲームの体験プレイが出来るコーナーが備え付けられていることが多かった。
小さい頃はそんなに次から次へと新しいゲームを買ってもらえるはずもなく、僕はその体験プレイで何度も1ステージ目をプレイして遊んでいた(体験版はプレイを初めて5分くらいでリセットがかかりタイトルに戻されるという残酷なシステムである)
そこで「ジャイアントエッグ」や「ガチャフォース」などの今や知る人ぞ知る、いや最早知る人のいないマニアックなゲームに触れる事が出来たのである。
そんな中にちびロボもあって少しプレイした。
これは面白いと思った。が、残念なことに買ってはもらえなかったのである。

しかし、そんな中、ちびロボを存分にプレイする機会に恵まれた。
なんと仲の良かった友達が(何故か)買っていたのである。
ちょうどその時、その友達の祖母の家にお泊まりしに行くことになっていた。その夜は遅くまでちびロボをプレイした記憶がある。余談だがご飯をいっぱいおかわりした記憶もある。

当時小学生だった僕はその世界観のとりこになった。
ちびロボの舞台はサンダース家が住む一軒家。
サンダース家のパパは現在無職。ママはお金の事でいつも頭を悩ませている。
娘はカエルの呪いでカエル語しか喋れない。
その時点で設定がクレイジーだが、さらに魅力的なキャラクターとしてオモチャたちが登場する。レゴで出来た恐竜が関西弁のおばちゃん口調で喋るわ、オモチャの軍隊にボコボコにされるわ、蜂蜜中毒のクマが暴れるわ、てんやわんやである。

今までゲームに持っていたイメージを、大きく転換する要因の一つになったのがちびロボだった。それに加えて、ゲーム性も抜群に面白かった。広い家の中をオモチャの視線で縦横無尽に駆け巡れる。いわゆる「報酬制度」みたいなのもしっかりしていて飽きない。
だが、やはり世界観が素晴らしかったのだ。

開発元はスキップ。
あのラブデリックが分裂したうちの一つだった、ということは高校生になってから知った。

僕はこのちびロボを足掛かりに、その数年後、「moon」「ギフトピア」などのラブデリックに手を出してゆき、よりディープなゲームの世界をのぞきに行くのだが、それはまた別のお話である。


合わせて読みたいゲームの話
サルゲッチュ
ジャックxダクスター

2017年11月29日水曜日

ふいんき

まだキーボードで文字を入力するのを覚えたての頃、そんな幼い時分には打とうと思った言葉を口で発しながらキーボードを叩く癖があった。
癖というか、そもそもそうしないと文字を打てなかった。

例えば「パイナップル」と打とうと思ったら、
「ぱ……ぱ……ぱ……い……い……」と文字を探す事となる。
あまりに時間がかかるのでタイピングゲームなどに挑戦しても、一つもクリア出来ず、楽しみ方が全く分からなかった。

そんな時、僕は「発音」と「文字」が必ずしも一致しない、ということに気がついた。
例えば僕は足で漕いで進むあの二輪の乗り物を、ケッタ又は「じでんしゃ」と言っていたのだが、「じでんしゃ」と打って変換すると「時電車」となった。
(もしかすると「じてんしゃ」ときれいに発音する方もおられるかも知れないが、そういう上品な方には今日の記事は読むに値しないかもしれない)
 
初めはどうして上手く変換出来ないのかが分からなかった。
「もしかするとコンピュータは自転車を知らないのかもしれない」
とまで思ったが、自転車は本来「じてんしゃ」であることに数日後に気がついた。

あるいは「すいぞっかん」である。
「すいぞっかん」に関しては1週間くらい分からなかった。
勝手にこっちで促音にしているだけで、本来は「ぞく」なのである。

これは大発見だと思い、母や父に話したが、僕の話は上手く伝わらなかったようで、二人の顔にクエスチョンマークが浮かんだのを子供なりに読み取った。

言い訳をさせてもらえば、「自転車」「水族館」に平仮名でルビを振れと言われれば、当時であっても正しく書けたはずなのだ。ただ、口で音を追いながらだと、正しいつづりを打ち込む事が出来なかったのである。

最近は「ふいんき」と打っても「雰囲気」と変換される。便利な世の中になったものだが、これでは今の子供は「じでんしゃ」「すいぞっかん」と覚えてしまうのではないか。これは由々しき事態である、日本の伝統はどうなる。
と、年寄りじみた思いで今日の記事を書き始めたが、2017年の暮れが近づいたというのに、「じでんしゃ」も「すいぞっかん」も正しく変換はしてくれなかった。
僕は時代の先を歩んでいるのだ。

2017年11月28日火曜日

クリスマス

クリスマスは好きだろうか。
僕は大好きである。

べつに恋人がいるとかいないとか、そんなことはどうでもいい。
現に孤独を弄していた23年間もクリスマスが大好きであった。
一人静かにクリスマスソングを口ずさみ、街を悠々と闊歩していた。

おそらくは根が子供である。
良い言い方をするのなら、純粋な少年の心を残したナイスガイなのだ。
悪い言い方をするならば、単純なナイスガイなのである。
なんにしてもオーナメントで飾り付けられ、赤や緑に彩られた、そんな華やいだ街を見ると心が躍るのである。ダンシングなのだ。

毎年、この時期になると用もないのに百貨店へと短い足を延ばす。
とりあえず栄に行き、ラシックを上から下まで歩いてみる。ラシックは、いかにも若者好みな感じが良い。
こうした空間にいるた、なんだか自分も華やいだ今時の男になった気がするが、手洗いでふいに鏡など見た時、どうも華のない顔がにやけているのに気がつくのが常である。しかし、クリスマスの頃ばかりは自分のような根の暗い男も華やぐことが許されるような、街がそんな空気を湛えているように感じる。

ぶらぶらとラシックを満喫したら三越へ行く。元気があれば松坂屋にも行く。
何かを買うわけでもないが行く。百貨店の地下は特に念入りに彷徨ってみる。
百貨店のソファは座り心地がいいのであちこちで一休みする。
一休みしたらまた彷徨う。

クリスマスは街全体が祭りだ。クリスマス一色だ。
それがたのしい。

2017年11月27日月曜日

勤労感謝祭⑤

その後、俺たちはみんなでワイワイと酒を飲んだ。
「おい、なにをやっているんだ。感謝とは何の伏線だったんだ」とお思いになるだろうが、乾杯から歓談が始まった時に俺も全く同じ事を思ったので許して欲しい。
大体この集まりに巻き込まれただけの俺に非はないのだ。

仲の良さそうに飲み始めたメンバーに俺も引き込まれた。

「君が山岸君の友達だね。彼から話は聞いてるよ」
恰幅の良い男が 声をかけてきた。飲み始めたばかりなのに顔がすでに赤い。

「一体どんな話を聞いているんですか」
男にビールを注いでもらいながら尋ねてみた。
俺を褒め称える山岸の姿は毛ほども想像出来なかったが、もしかすると裏ではこっそり評価しているかもしれない。

「『もちろん学業に励むという事はなく、かといってサークルやアルバイトなどに励むという訳でもなく、一人前に捻れた恋愛感情を持ちながら、それが成就する事もなく、ただ日を鬱屈と生きている、今時珍しい学生という特権的モラトリアムの権化のような男だ』と山岸君は強く君を大絶賛していたよ」
俺の耳には全く絶賛しているようには聞こえなかったので、もっと美しい言葉と聞き間違えたのかもしれない。

「みなさんは愚者の会……でしたっけ。というかそもそも今日は何をするんです」
恰幅の良い男は早くも酩酊しかけていたので、俺は心の中にあった疑問を率直にぶつけてみた。

「そうとも、我々こそが愚者の会であるよ。それを一年前に作ったのが件の山岸君さ。それぞれ個人で暗躍していた我々を集めて交流出来る場を作ろう、この大学を混沌の渦に沈めよう、と言ってね」
とてつもなく迷惑な話である、と思ったが口にはしなかった。

「まぁ山岸君の事だからあくまでも建前に過ぎないとは思うがね。だが実際こうして集まると良い刺激があってね。うちの信者集めにも色々とアドバイスを貰っているしね」
ということはこの男がさっきの「ふろーふろーきょー」とかいう怪しい宗教の人間らしい。なんとなく見た目からしてこの男が教祖なのではないかと想像した。

「それで今日は勤労感謝祭だよ。我々が勤労な人々に感謝を示すにはどうすればいいと思うかい」
男の顔は真っ赤になっていて、右へ左へとふらふらし始めた。

「なんでしょう…………ゴミ拾いとか…」
俺は考えながら男に水を差し出した。
「我々がゴミ拾いなどしたら醜い建物を更地にしてしまいかねないさ。では、我々はどうすればいいか……」

男が水を一気に飲み干す。樽のような腹でぽちゃんと音がした。
「つまりは何もしないことだね。こうして酒を飲んで肴を食べてくだを巻くのだね。我々が何かしようとすればそれは必ず混沌につながってしまうのだよ。そういう星の下に生まれてしまったのだ、因果なのだよ」

男は立っているのが辛くなったのか、俺に一言断わるとふらふらと壁際に置かれた椅子へと歩いて行き、どしりと座った。椅子が壊れないか心配であった。

それからの事は酒も入り細密には覚えていないが、愚者の会の会員たちと何やら話しながら酒を飲み肴を食べた。
覚えはないが俺はどうにかして下宿まで帰ったようで、起きるとすでに昼前だった。
深酒をしたはずだが身体に酒が残っているような感じもなかった。そのため、昼寝をしてそのまま朝まで寝ていたのではないか、愚者の会なんて馬鹿げた集いはなく、山岸などという気の触れた友人はおらず、俺にはクリスマスを共に過ごす美しい恋人がいるのではないかと思うほどだった。

「変な夢を見たな……」
ただ本当に夢の中のことかどうか分からぬが、ショートカットの神秘的な美しい女性が佇み、こちらに暗闇のように上品な笑みを向ける姿が目に焼き付いていた。
名前を聞いたような気もするが、しばらく考えたものの思い出せなかった。
さて、彼女はどんな愚者であったのだろうか。

その日の夕方、俺はN記念館を見に行ってみた。
いくらか眺めてみたが、記念館の脇の植え込みに抜けられるような隙間はついに見つけられなかった。

愚者の会のことは夢のようにしばらくすると忘れていた。
(つづく)

2017年11月26日日曜日

勤労感謝祭④

じゃりっじゃりっ
ほとんど明かりのない階段を踏み外さないよう慎重に降りていく。
階段には砂が散っていて一段降りるたびに擦れて音がする。
どうやら扉だけでなく、建物の地下部分全体が地上部よりもだいぶ古くのものであるらしく、湿っぽいカビの匂いがした。

じゃりっじゃりっ
階段を降り切ると、そこには煉瓦壁の暗い廊下が続いている。その先がぽわりと明るくなっていて、明かりの元から溢れて来ただろう声々が廊下にぼんやりと反響していた。

明かりの下へと行くと、教室ぐらいの大きさの部屋になっていた。

「どうやら全員揃ったようで」
俺が来るのを待ちわびていたのだろうか、踏み入れてすぐに一人の恰幅のいい男がそう言った。そこにいる人々の視線が俺に集まる。6,7人ほどいるらしい。視線が痛い。

ぱんぱんっ。
さっきは別の男が手を叩く、視線は俺に穴をあける前にそちらに移った。

「皆様、本日はようこそいらっしゃいました」
男はすらりと背の高い鼻筋の通った二枚目で、彼と心を開き打ち解け友情を誓うことはないだろうと密かに思った。

「本来ならば山岸氏こそ音頭を取るのに相応しいのでしょうが、彼は残念なことに急に一世一代の用事が入ってしまったらしく、力不足ながら私が仕切らせて頂きます」

男はそこでコップの水をくくっと飲み、そこから雄々しく宣誓のようなものを始めた。

「この世には三種類の人間がいる。この人の世を回す勤労な者、それに多くの貢献こそしないもの害もなさぬ怠惰な者、そして世を回さぬばかりか勤勉な者たちを掻き乱しその勤勉さの築く白き栄光に墨滴を散らす我ら愚かな者である。我らはこの世に混沌をもたらす者の集い、愚者の会である」

男はまた水を飲む。俺はぽかんとした顔で周りを見渡したが、阿呆のような顔をしているのは俺だけであって、みんな当然のようにその宣誓を聞いていた。
宣誓を終えた男は少しほっとした顔を見せ、続けて話し始める。

「さて、私たち愚者の会も結成から今日で1年を迎えました。この大学で暗躍し、広く人々に多大な迷惑をかけていた有志たち4名がこの会を結成しました。そして、1年の間に新しく同志が増えたことを嬉しく思います。1年の間、私たちは互いに切磋琢磨し合い、大学に渦巻く混沌をこれまでよりも更に深く出来たと感じています。私の運営するメディアである近傍ゴシップ『バビルサ』も知名度をさらにあげ、ここでは紹介しきれませんが、学内壁登り同好会『孤独の人』、ベンチャー宗教『不老不労会』を始めとして、学生たちの間で私たちの話題が出ない日はありません」

「そんな活動知らないぞ!!」
と叫びたくなったが、完全にアウェイの空間の中で叫ぶ勇気もなく、もし「それはお前の友人が少ないからだ」と言われた場合、反論は困難を極めることが予想されたため、喉からせり上がる言葉をグッと堪えた。

「みなさんは日夜それぞれの愚かな行いの従事に忙しいと思われますが、今宵は勤労感謝祭でございます。普段、私たちが被害を与え続けている勤労者たちに今宵ばかりは感謝の意を送ろうではありませんか」

そこまで言うと男は二枚目の顔に軽い笑みを見せた。

勤労感謝祭⑤へ

勤労感謝祭③

俺は身長が高くない。決して低いとは言わないが高くはない。
かつて幼き時は身長順に整列すれば、クラスでも最後尾を狙えるポジションにいたが、中学生の頃にはすでに成長期が終わり、クラスメイト達は次々に俺を列の前へ前へと押し出していった。
しかし声をかけてきた男は俺よりもさらに身長が高くなかった。
ただその瞳は爛々と輝いていて、俺にかつて動物園で見た夜行動物を思い起こさせた。

「聞こえなかったのか?入館証がないなら話はここで終わりだ。すでに時間が押しているんだ」
男の声は苛立っていた。
自分に向けられた突然の怒りを理不尽に感じたが、もしかすると背の高くない私服の警備員なのかもしれない(その時点で可能性はだいぶ低い気もするが)
下手に抵抗の意を見せたら、事務室に補導され、密室でやってもない罪を自白させられ、しばらく陽の光を浴びられなくなるかもしれない。
アメリカなら手に持った物が銃器と見間違えられ、撃たれ、地面に伏すことになりかねないが、ここは日本で、手には山岸から渡されたチラシしかなかった。

「あ、あのすいません。なんのことでしょうか……」
俺は丁重な態度で敵意のないことを示そうとした。
決して自分よりも背の高くない男に少しばかり怯えてしまったわけではない。

男は俺の姿をざっと見て、
「なんだ持ってるじゃないか、入館証。早くついてきてくれ」
と言うと、建物の脇に生えた茂みの合間をするりと抜けて行った。
俺はなんのことかさっぱり分からなかったが、呆けているとまたどやされそうだったので男の後を追った。

道は道と呼ぶには細すぎて、着ていたコートに茂みの枝が次から次に刺さってきた。
男はそんな中を信じられないスピードで進むので、ついて行くのは不可能に感じられ、このまま茂みの中で身動きが取れなくなって人生を終えることになると思われた。
しかし、道はそれほど長くなく、気づくと建物の裏手、建物と塀の間にある小さな空間に出ていた。
男の姿はすでになかったが、見渡すと建物には古びた鉄扉が付いていた。
他に道もなく、ここから入っていったのだろうと思われた。
この建物にこんな扉があるとは、そもそもこんな空間があること自体知らなかったが、他に行く場所もなく、おそるおそるノブに手をかけ扉を引いた。
ぎぃっと音を立て重い扉が開く。

そこには地下へと降りる暗い階段が口を開いていた。

勤労感謝祭④へ

2017年11月24日金曜日

勤労感謝祭②

勤労感謝の日、とはすなわち収穫祭のことであり、新嘗祭と呼ばれる宮中祭祀の一つである。天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇に勧め、また自らそれを食し、その年の収穫に感謝の意を捧げる日であったが、戦後、GHQの指導のもとに勤労感謝の日と改められ、現在は勤労とは言いがたき学生たちに無闇矢鱈に祝日という名の休日を満喫せしめている。

「やけに詳しいじゃないか。ウィキペディアでも読んだかい?」
山岸がコーヒーを飲み干した紙コップをゴミ箱に向かって放り投げる。
コップはゴミ箱で跳ね、寝ていた学生に当たった。が、起きる気配はなかった。

「勤労感謝の日というのは分かるが、感謝祭というのはなんだ。オールスター感謝祭みたいなものなのか」
「まぁそんなようなものさ。島田紳助はいないがね。もともと俺が誘われていたのだが、残念なことにどうも都合がつけれず頭を悩ませていたところ、運良く暇を持て余した友人の存在を思い出し、はるばる学食まで馳せ参上したというわけだ」

山岸はそう言いながらチラシの隅を指差し、
「勤労感謝の日にこの場所に行ってくれ。ただ人数合わせのようなものだから、別に特段なんの用意もいらない。おそらく多少はつまむような物も用意してあるだろう。何か聞かれたら山岸の友人だと言えばこと足りる」と続けた。

「勝手に話を進めているところ悪いが俺にも用事というか、色々と準備しなければならないことがある。すまないが、断らせていただこう」

山岸は聞く耳を持たぬという様子で、ささと荷物をまとめると、
「今更クリスマスに向けて何かしようと思っても遅いさ。遅いのに何かを成そうとしても焦り空回りろくな事にならないよ」と憎たらしく言い、最後に
「それにたぶん感謝祭には女性もいる。そちらの方が芽があるかもしれないよ」
と不敵な笑みで言い残し学食を去って行った。



ーーーーーー

チラシに書かれた情報はわずかで、分かったことといえば「勤労感謝祭」というイベントが勤労感謝の日の夕方にN記念館の地下で開かれる、ということのみであった。

N記念館には何度か散歩がてら入ったことがあるし、学内の講習会で上階を訪れたこともある。しかし地下があるという話を耳にしたことはなかった。

そのためなんとなくチラシ自体が胡散臭く思え、行くつもりもさらさらなかったのだが、それは晩秋の寒さゆえか、普段の生活で女性と交流する機会の少なさゆえか、人恋しさが募った俺の中で「女性もいる」という情報の価値が高まり高まり、気づくと勤労感謝の日の夕方、俺はN記念館の前に立っていた。

さて、正面玄関から入ろうと思い自動ドアの前に立つも何も起こらない。
ぽんぽんと跳ねてみるもドアはしんとして動く様子はなかった。
どうやら一般開放されている時間は過ぎ、自動ドアには鍵がかけられているようであった。
「さては山岸のやつ、俺をたばかったな」
俺は心優しい友人(俺のことだ)を騙した悪童に憤慨し、即刻帰宅し湯を沸かしココアを飲むほかにないと思い、その場をたち去ろうとした。その時だった。

ふいに後ろから声がした。

勤労感謝祭③へ

2017年11月23日木曜日

勤労感謝祭①

昼と夕方のあわい、学食での優雅なティータイムを過ごしていた日のことだった。
幾らかの甘味をつまみながら、静かに喉を潤し、心を潤す。
それは動乱波乱に満ち満ちた学生生活での安らぎのひとときであった。
しかし、そのかけがえのない時間は無粋な侵入者によってかき乱された。

「クイニーアマンにクリームパンにクレープ……よくもまぁそんな甘いものばかり食べられるな」
山岸が困惑と驚嘆の入り混じる顔でそう言った。
おそらくは未開のジャングルで土を食べるサルを見つけた時にするような顔であった。

「ティーブレイクだ。甘いものは脳に良いだろうが」
そう言いつつクリームパンを口に放り込む。やわらかい皮からカスタードが飛び出てくる。至福。
「ティーブレイクたって、紅茶でも緑茶でもなくコーラじゃないか。第一、使いもしない脳に栄養を与えても無駄に肥えるだけだぞ」
山岸は吐き捨てるように言ってブラックコーヒーをずぞぞぞとすする。

学食には机でなにやら勉強したり寝てる学生が数人いるだけで、ただでさえ広い空間がより寂しく見えた。
一人で優雅に午後を過ごす俺のところに、どこからか山岸がやってきた。

「だいたいこんな時間に学食に何のようだ。コーヒーなら自販機で買えるだろ」
「こんな時間にクレープ食ってるようなやつに言われたくないね」
そういいながら山岸はクリアファイルから取り出したチラシを一枚こちらに寄越す。

そのチラシには大きく白ぶちの赤で「勤労感謝祭」と書かれていた。

勤労感謝祭②へ

2017年11月22日水曜日

多重夢

こないだ久々に多重夢を見た。
聞きなれない名前かもしれないが、僕が今考えた。
要は夢から覚めても夢の中、というやつである。
先日はその「夢から覚めても夢」というのを20回は繰り返したように思う。
ハードワークな夢を見たせいで寝起きも良くない。
結局寝直して寝坊した。

ただそこで一つ疑問に思ったことがある。
僕は本当に「多重夢を見た」のだろうか。
夢の中ではおかしな記憶や法則が当然として受け入れられていることがある。
起きてから考えると明らかにおかしいのに、夢の中では普通のことなのである。
僕は多重夢を見たのではなく、「多重夢を見た」という記憶を持った夢を見たのかもしれない。
簡単な例に置き換えると、夢の中でみかんを食べたのか、「さっきみかんを食べたな」という記憶が前提としてある夢を見たのか。ということである。

これはマトリックスのような話、1秒前仮説と同じような話で、その二つを区別することは出来ないように思う。
夢を映像的に分析出来たら、「まさに夢の科学だな(粉川警部)」

2017年11月21日火曜日

どうぶつの森

ぴぴぴっぴぴぴっ
目覚ましが鳴ったのを急いで止め、そろそろと布団から出る。
リビングに移動し、ゲームキューブの灰色のスイッチを押す。
排気の音が気になって、なんとなく布をかけて音を消す。
寝室で物音が聞こえた気がして僕は息を殺して身を潜めた。

ブラウン管テレビの画面でゲームキューブのロゴが転がり、そしてタイトルが表示される。
「どうぶつの森+」
時刻は午前4時、小学生の夏休み、僕はどうぶつの森に激はまりしていた。


親が起きてくるまでの2時間の間に、カブトムシやクワガタをとりまくる。
そう意気込んで、僕は毎朝音を限界まで絞ったブラウン管の前に座り込んでいた。
親が起きて来たら言うセリフは決まっている。
「ちょうど10分くらい前に起きて暇だったから」
当時の僕は借金を返すの躍起になる、健気な小学生だった。

ゲームキューブの時間をいじれると知ったのはそれから数年後のことであった。
僕は時間をいじりカブトムシをとった。クワガタをとった。オオクワガタが高かった。
しかし、不正には代償が伴う。
時間を戻した僕のところに一通の手紙が来ていた。
それは、僕の一番のお気に入り住人だったニコバンの引越しの連絡だった。
僕らはあんなに仲良くしていたのに、ニコバンは出て行ってしまった。
もう会うことは出来ないんだ。
僕は自分の過ちの大きさを嘆き、どうぶつの森は本棚奥深くに封印された。

そして今日、僕は十数年ぶりにiPhoneでどうぶつの森を始めた。
かつて別れた友人を探すために。

2017年11月20日月曜日

市場

家の近くに市場があった。
「いちば」と読む。
もしかしたら「しじょう」だったのかもしれないが、僕たちは「いちば」と呼んでいた。

コンクリート打ちっ放し、と言えばお洒落な感じもするが、実際は薄汚れたコンクリの建物だった。
薄暗い中に幾つか店が入っていて、肉屋やら魚屋やら、そういったいかにも「昔ながら」というような趣の店ばかりだった。
そしてどの店もお婆さんが白い蛍光灯の光の下で、時たま来る客の相手をする以外は、世間話をしたり、ただ天井やら部屋の隅やらを眺めていた。
お爺さんはいなかったような気がするが、覚えていないだけなのかもしれない。

そんな市場に僕は友達と中高の6年間よく通った。
テスト期間や夏休みや、時間があるときには決まって市場の中にあるうどん屋でカレーうどんを食べた。
うどん屋は背中の曲がったおじちゃんと元気なおばちゃんが二人で回していて、僕らはカレーうどんの大盛りに七味をかけて食べるのが習わしだった。
時間によってはもううどんの麺が出切っていて、おじちゃんが「別の麺でもいいか?」と聞くので、そういう時は仕方なくカレー蕎麦や、カレーきしめんを食べる事になった。
カレー蕎麦はもちゃつきが強く、カレーきしめんはきしめんをべらべらする度にカレーが飛び散った。

うどん屋の隣には駄菓子屋があって、そこで駄菓子を買って、友達の家でゲームをしながら食べた。プラスチックの柔らかい容器に入った、洋ナシ型のチューペットのようなジュースを買って、あえて底に歯で穴をあけてて飲んだ。
母は汚いからやめろと言ったが、その飲み方は6年続いた。
あとは適当に安いチョコやらガムやらを買って食べた。
水に入れるとコーラやソーダになる粉薬みたいなやつを、そのまま口に流し込むのもよくやった。口の中が泡でぶくぶくになって楽しい。

そんなことを犬山の駄菓子屋を見て思い出した。
市場はもうなくなってしまって、代わりにスギ薬局が建った。
そこでカップ麺を買ってきて家で食べた。うまかった。

2017年11月19日日曜日

油分

「歳をとった」と感じたのは先日行ったラーメン屋でのことだった。
オススメされた「牛すじまぜ麺」を注文し、運ばれてきた物をかっこむ。
しかし、食べられない。
牛すじに関わらず、肉の脂は好物であったはずだ。
それにも関わらず、半分食べたところで牛すじが全く喉を通らなくなった。
頭で考えていた自分の年齢と、本当の身体の年齢が一致した瞬間であった。
その衝撃たるや。

しかし、油物というのは美味い。
今日は犬山のクラフト祭りに後輩の演奏がてらデートとしけこんだ。
とりあえず串カツを4本買う。
焼きそば、カレー、フランクフルト、メンチカツ、試食の豆、みかんアイス、二度目の串カツ、甘酒とひたすら食べる食べる食べる。
中でもここの串カツはたまらなく美味い。
毎年欠かさず食べまくり、毎年欠かさず胸焼けをする。

今年は美味しいデザートを後輩に教わった。
「あげパンソフト」
目の前でお姉さんがコッペパンを油に突っ込む。
カリカリジュワジュワになったパンに、ソフトクリームを挟み込む。
揚げ物と甘味(しかも冷たい)が合わさった、「魔の食べ物」誕生だった。
味は申し分なく美味しく、ウキウキで食べ切り、油物とアイスの組み合わせに抜群にお腹を壊し、帰りの電車で苦しんだ。また食べたい。

2017年11月18日土曜日

柳橋通過隊

中村区は名古屋駅。
名古屋の顔とも言えるこのすぐ近くに一つの市場がある。
「柳橋中央市場」
いくつもの卸の店が立ち並び、朝に行けばトロ箱が並び新鮮な魚がそこら中で売られている。バナナ一房(2,30本ついたやつ)が50円で売ってたりもする。
僕はこの市場街を月に何度となく通り過ぎている。
それは月に何度となくミッドランドに映画を観に行っていることとイコールであり、定期の通っている栄や久屋大通から名古屋駅まで歩くことで、往復の400円を浮かせようとする僕の吝嗇ぶりとニアリーイコールである。
柳橋中央市場だが、歩いてみると卸の店だけでなく、ちょっと入って食べられるような飲食店も様々に並んでいる。
考えてみれば、すぐそこで買ってきて営業が出来るのだから当たり前といえば当たり前なのだが、こういう店を見ながら歩くのも割と楽しい。
肉専門ビストロがあり、寿司屋は当然何軒もあり、天ぷらがあり、鮮魚を歌った居酒屋が星の数ほどとまでは言わないが、惑星の数よりは多く店を構えている。
本当ならば寒い夜はこういった乙な店で、魚の燻製でもつまみながら熱燗をひっかけたいところだが、400円を浮かすために歩く男がすることではない。
しかたがないのでせめて自販機で水でも買おうと120円を入れてボタンを押したが、「がこっ」という音だけが落ちてきていろはすはどこかに消えてしまった。
柳橋の夜は寒い。

2017年11月17日金曜日

理解度の乗算

海外から外国人の先生が来た。
教授の知り合いで、とある病気に自分の名前がつくような超研究者らしい。
もう80をまわるというのに精悍な顔つきで研究に対しての姿勢が凄い方だった。

せっかく日本まで来たので、ということで専門についてセミナーをしてくださる事になった。
しかしここに大きな問題があった。
実はその先生の専門はうちの研究室の分野とは割と離れているのである。
果たして、僕らはせっかくしてくださるお話を理解できるのだろうか。
少なくとも内容として、僕は全体の半分くらいしか理解できないと思っていた。

そして更なる問題、というか当たり前なのだが。
セミナーは英語であった。
英語のリスニングが出来るか、といえばまぁ出来ない。
おそらく僕の研究分野を英語で説明されたらこれも半分くらいしか分からないだろう。

これが二つ合わさると悲惨な事になる。
単純に計算して、50%の50%である。25%である。
25%しは話が分からないとなるとどうなるか。
話してる内容の4分の1どころではなく、言葉が飛び飛びにしか耳に入ってこない。
なんとかスライドを見て理解しようとするが、スクリーンには見慣れないグラフが並ぶ。

結果、全体の1割理解出来たかどうかという恐ろしい状況になった次第である。
悔しいというか、みじめというか……むごたらしい…………

仕方がないのでサウスパークを見て勉強しようと思う秋の夜長。

2017年11月16日木曜日

慰霊祭

昼過ぎ、大学からのバスに乗って農場へ向かう。
約30分、バスの中で唯一カーテンのない非常口の横の椅子に座ったせいで、顔の右側だけが日焼けしたような気がする。
天気は快晴、気持ちいい秋晴れだったが、とにかく寒い。
風が吹くたびに体温が奪われていくのをひしひしと感じた。
今日は年に一度の慰霊祭である。
一年の間に用いた実験動物を弔う。我々は業が深い。
一人一人が慰霊碑の前に花を手向け、手を合わせる。
やはり宗教的な要素はない慰霊碑なのだろうか、などと考えながら寒さに耐える。
代表の教授が各研究室から報告された実験動物数の合算を読み上げる。
各研究室からの報告数を合わせると全部で万はゆうにこえている。
不謹慎だが、この時に珍しい動物の名前が上がるとなんだか面白い。
マウス、ラット、ジャンガリアンハムスターを始めとして、そのうちスンクスやモモンガの名前も出てきた。
久々に農場に来たのでヤギやウシも少し眺めて行く。
3年前に僕が担当していたウシはもういない。
みんなが農場の雌牛を世話する中、僕の担当は生まれたてのウシだった。
遼一と名前をつけ可愛がっていたが、名前からも分かるように雄だったので肥育農場へと売られて行った。美味しい黒毛和牛になっただろうか。
そんなことを思いながら、干草と獣の匂いを後ろに農場を後にした。
また来年。

2017年11月15日水曜日

マグカップ

「やはり不便だなぁ」
研究室の居室で僕は思う。

時刻は15時過ぎ、昼食後の眠気が過ぎ去ったあと、第二陣の眠気がやってくる頃。
ここで一杯ブラックコーヒーを決めたいな。

コーヒーを飲むには二つの方法がある。
一つはコーヒーを買うこと。
学内の自販機にはほぼ必ずコーヒーが並んでいるし、カフェもいくつかある。
安さにこだわるなら、居室でも缶コーヒーが一本50円で買える、
失礼にあたるかもしれないから、味には言及しない。

しかし、これが毎日となると出費が痛い。
出来るだけ安く美味しいコーヒーが飲みたい。

そこでもう一つの方法、コーヒーを作る、という手段にでる。
引き出しの中に溶かして飲めるコーヒーを入れておけば、安い値段で割と美味しいコーヒーにありつくことができる。
実際、みんな自分の引き出しにコーヒーの素をしまっている。

実は僕もバナナの横にしまっている。
しかし、困ったことに僕にはマグカップがない。
家でも探してみたけれど、研究室に持っていける「ちょうどいいくらいにいらないマグカップ」がない。どれも持っていくには惜しい。

以前の研究室の居室には、もしかするとまだ僕のマグカップが残っているのかもしれないけれど、そちらに足を運ぶ気にもなかなかならない。

そんな悩みを抱えながら、ペットボトルに浄水器から水を入れて飲む。
眠気が払えないティータイムが今日も過ぎていく。

2017年11月14日火曜日

バナナ

Hi!!エブリバディ!!!
みんなはバナナ好きかい!? 僕はもちろん大好きさっ!!!

えっ??? 私はバナナが好きじゃないって???
特に青臭いスメルが受け付けないって!?!?

おいおい、ちょっと待ってくれよガール!!!
君はバナナの熟成ってもんが分かってないぜ!!!
どれぐらい分かってないかって???
ワイフが僕の気持ちを分かってくれないのと同じくらいさ!!!
(HAHAHAHAHA)

バナナを熟成する方法は簡単、君だってすぐに出来ちゃうぜ!!!
まずは紙袋を用意してくれ!!
おいおい、ちょっと待ってくれよボーイ!!!
それはなんだい?? ビニール袋?? 袋なら同じだって???
ノンノンノン、それが違うんだ、よーく聞いてくれよ!!
紙袋とビニール袋の違い、それは空気をよく通すかI. NA. KA!!
実は適度に水分が飛ぶことが熟成には大切なんだ!!!!

紙袋にバナナを入れたら、数日ほど暗い場所に置いてやってくれ!!
バナナをベイビーみたいに、ゆっくりおねんねさせてやるんだ!!

そうするうちにバナナにシュガースポットが増えていくんだぜ!!
これは外に放置して熟成した時よりも若干茶色いのが特徴だ!!
そしていざバナナの皮をむいてみると…………アンビリーバボゥ!!!
バナナの皮が極薄になっちまってるんだ!!!
これが紙袋熟成のだいごみだ!!! 極薄バナナにワイフも大喜び!!!

味は甘みが増して、熟成を重ねるほどにアルコールのような風味が増していくぜ!!
さあユーも、レッツ バナナ エイジング!!!!

2017年11月13日月曜日

外食

東京に「原価率研究所」というカレー屋さんがある。
200円という破格の値段でカレーを提供しているお店なのだが、前にインタビューの中で「味をあえて落とした」と答えていたのが印象的だった。
なぜ落としたかといえば、その店の理想は「毎日食べられるカレー」だったからだ。
つまり、美味しすぎるカレーは毎日飽きずに食べることが難しいのだ。
これは外食において必ずしも「味」が最上位にこないことを意味している。

人はそ外食に何を求めるだろうか。
一番単純なところに「腹を満たしたい」という願望が位置するだろう。
料理しなくて良い、という利便性も重要だ。
また「まだ食べたことがないものが食べたい」という興味・好奇心が多くを占める時もあるだろう。
ポイントを貯めたいというマニア精神のためや、インスタ映えする写真や話題作りのために外食することもある。
さらに、大盛り、ゲテモノのようなアトラクションとしての機能を期待することもある。
考えてみると「味」以外の要素はとめどなく思いつくだろう。

コンフォート・フードという概念があって、心地よい記憶と結びついた食事はその人にとって特別な存在になりやすく、なかなか断つことが難しいそうだ。
家庭で家族団欒で食べた料理などが特別な存在になるだろうことは想像に難くないし、「おふくろの味」に一役買っているのかもしれない。

マクドナルドにはかつて店舗の横に子供のアスレチックスペースがあったものだ。
ここに連れてこられた幼児はマクドナルドを特別で素敵な場所だと記憶に刻み込むだろう。アメリカでは以前そんな理由から社会問題になったこともあるらしい。

自分は何となく「美味いものが食べたい」という理由で外食をしていたつもりだったが、思い返してみれば上述の理由が少なからず関わっているように感じるし、もしかすると「味」の面をそうした要素が超えているものもある気がした。

そんなことを思いながら板チョコをほおばっている。

P.S.
喫茶マウンテンに美味しさを求めたことはない。念のため。

2017年11月12日日曜日

鏡ヶ池④

「いやいやご苦労様としか言いようがないね。本当に助かったよ」

山岸は手をこね、にやにやしながら茶封筒をカバンから出しこちらに寄越す。
ガーに遭遇した翌日、報告のため俺はまたCal:BOで山岸に会うことにした。
モーニングが終わったばかりの店内は、あいも変わらず俺たちの他に客はいない。
マスターが趣味でかけたボサノバだけが静かに空間を埋めている。

「それは成功報酬……みたいなものかな。まぁ後で確認しといてくれ」
山岸はそう言うと、マスターを呼びコーヒーを注文した。
ついでに奢らせてやろうと、俺もモンブランとコーヒーを頼む。

あの日、飛び上がったガーは、池に戻った後もしばらく水面あたりを遊ぶように泳いでいた。
俺は山岸に渡された紙の内容を大声で読み上げた。


「兄弟よ、先に立つことを許してくれ
はらからを残していくことがどれほど辛いかお前にもわかるだろう
どうやら私は極楽に行けるらしい
この異国の地で疎まれた私が極楽に行けるとはなんとも不思議なことだ
だから私のことは心配するな お前はお前の成すべきことをしろ」

以上を読み上げるのに7回の息継ぎをし、最後に激しくむせた。
ガーに聞こえたかは些か疑問だったが、ガーは少ししてから再び深く深くへと潜っていった。姿はすぐに見えなくなった。

モンブランを食べ、山岸と世間話をしばらくしてから家に帰った。
コートのポケットの物を布団の上に投げ捨て、自分も身を投げ出す。
寝転びながら茶封筒の口を破る。中から今回のバイトの二日分ほどの給与が出てきた。
これが成功報酬というやつか、と思ったが、札の間に一枚の紙が挟まっていた。
紙は栞のような大きさで、釈迦と二匹の異国情緒あふれる魚の絵が描かれていた。



その夜、夢を見た。
金属のように光る鱗の魚の上に、お釈迦様が立っている。
池で見た魚よりも薄白く、それがガーの兄弟だと俺には分かっていた。
お釈迦様は何も言わずにこちらを見ていたが、やがて魚とともにどこかへと消えていった。

次の日、昼前に目覚めた俺は布団を何度かひっくり返したが、ついぞ栞を見つけることが出来なかった。
代わりに枕元で見覚えのない小さな赤い布の袋を見つけた。
その布袋からは、樟脳に少し似たどこか優しく懐かしい香りがした。


P.S.
後日そのことを山岸に伝えたところ、「おそらく匂い袋だろう」と言っていた。
それから少し黙ってから、「そういえば、あのガー。どちらがお兄さんだったんだろうね」とつぶやいていた。
魚に兄も弟もあるのかと思ったが、なんとなく鏡ヶ池のガーが弟のような気がした。
池で張りこんでいたせいか俺は風邪を引き、再履修の講義でCを取った。

2017年11月11日土曜日

鏡ヶ池③

それからの5日間、俺は健気にも鏡ヶ池の木陰で水面を眺める日々を送った。
(留年をするような人間が)なぜそこまで熱心に池を眺められたかと言えば、ランチのおごりだけでなく、先払いで貰った謝礼が思いのほか良かったためである。
お陰でコンビニのホットスナックを食べながら水面を眺められた。
実を言えば、何度となく池にいると連絡してサボろうとはしてみたのだが、その度にどこで監視していたのだろうか、山岸からそれとなく嫌味な電話が入ってくるのである。
そのためサボタージュも敵わず真面目に通う羽目になった。

最初の4日間は足の疲れのほかに、特に何も得るものはなかった。
木陰にいるとはいえ、日中外にいたため多少日に焼けただけである。
やや小寒い風に頬を撫でられながら本のページをめくっては時々水面を確認したりしていた。
池は透明度の低い水をただずんと湛えているばかりである。

それは俺が通い始めて5日目のことであった。
そろそろ本や漫画を読みながら、水面を時折確認する仕事にも飽きが出始めた頃で、ぼちぼちこの日々から引退し、日常生活(といっても大してやっていることは変わらないのだが)に戻ろうかと思っていた頃のことである。
天気は曇り、風は西向きにやや強く、なんとなく空気もどんよりと重たい日であった。
おやつに、と持ってきた菓子パンを袋から頬張っていた午後3時過ぎ。
やおら池が賑わいを見せ始めた。

最初は水しぶき、その水音しか分からなかったが、よくよく見てみると大量の魚が水面を割るように池の端へと我先に泳いでいるようだ。
魚の群れはぬらぬらと重い曇光を反射し、あたかも湖央から広がる一つの大きな水紋に見えた。
ただならぬ雰囲気に菓子パンを放り出し(実際にはカバンの上に優しく置いた)、池へと近づく。
その瞬間、池の中央から巨大な塊が宙へと飛び出た。
大きさは身の丈の三倍をゆうに超し、黒々とした黒鉄色の体が鈍く光る。
瞼を持たぬ笑えるほどに大きな目がぬるりこちらに向く。
それは、まさにガーであった。

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2017年11月10日金曜日

鏡ヶ池②

先月末、妙音通に住むとある老人の夢にお告げがあった。
気が付くと老人は見知らぬ場所に立っていた。
周りは雲の上のようにふかふかとしており、老人は自分が死んだのだと思い込んだ。
その時、何かが老人の方へと宙を泳ぎ近づいて来た。
「龍だ!」と咄嗟に思ったものの、近くで見るとそれは巨大なアリゲーターガーであった。そしてその上に乗っていたのは、覚王山は日泰寺に眠っているとされる、お釈迦様であったのだ!!
「このガーはお城の堀で捕えられたガーだ。このガーも、名古屋の地に兄弟を残したままでは気が気でなく、極楽浄土へと上がって行くことも儘ならぬと申す。そこでお前に一つ仕事を頼みたいのだ。鏡ヶ池にいる兄弟ガーに一つ遺言を伝えてやって欲しい」
とお釈迦様は語った。
この老人、実はお堀での捕獲作戦に一役買った地元の名士で、信心深い仏教徒であったから、夢から目覚めてからはてんてこ舞いの大騒ぎであった。自ら老体に鞭打ち、何度も鏡ヶ池を訪れたがガーに会えるべくもなく、季節の変わり目で体調も崩し、さてどうしようかと困り果てていたところ、どこからか話を聞きつけた山岸がニヤつき顔で救いの手を差し伸べにやってきた、というわけだ。

俺には可哀そうな老人を山岸が上手いこと騙したようにしか思えなかったが、以上が山岸の話をまとめたものだ。

「だからと言って、なんで俺がそんな役目を担う羽目になるのだ。お前が自分でガーとやらを探しに行けば良いだろう。」
「いやそれがなかなか忙しくてね。それにお前は暇だろう」

山岸がジェノベーゼの最後の一巻きを口へ運びながらのたまった。
誠に失礼なやつである。一体俺のどこが暇だというのだ。

「留年の原因になった単位もほぼ取り終えて、後期はほとんど講義もないそうじゃないか。時間は腐るほどあるだろう」

痛いところを突かれた。言うなればあばら骨のあたりを強く突かれた感じだ。

「講義がないからと言って暇というわけではない。俺にも色々と都合というものがある」
「もちろん謝礼は支払うともさ」

謝礼か……悪くない。
しかし、どうも馬鹿げた与太話に聞こえる。
そもそもアリゲーターガーに出会えるとも思えない。

マスターが食後のコーヒーとケーキを持ってくる。
ブラウニーの上のストロベリーソースがてらてらと眩しい。

山岸はコーヒーをすすりながら
「それに首を縦に振らなきゃ、鉄板ナポリタン及びコーヒー、あとそのケーキの料金は支払わないぜ」と言った。

痛いところを突かれた。みぞおちのあたりだ。

俺は無言で財布を取り出す。ふにゃりと根性なく曲がる。
お札入れには何も見当たらなかったので、小銭入れを開けて軽く振る。
一枚の50円玉が財布から転がり、そして砂糖のポットに当たってかつんと寂しい音を鳴らした。

2017年11月9日木曜日

鏡ヶ池①

「鏡ヶ池にはアリゲーターガーがいる」
俺は鉄板ナポリタンで口の周りを赤く染めながらそんな話を聞いた。
先週の木曜、大学側の喫茶「Cal:BO」でのことだった。

「前に名古屋城のお堀で一匹捕まえられただろ。実はお堀にガーを逃したやつと、うちの大学の池にガーを逃したやつは同一人物らしい」
ジェノベーゼを教科書どおりスプーンの上でフォークに巻きながら山岸が続ける。
二限の授業を抜け出してランチにスパゲッティと洒落こんだだけあって、Cal:BOの店内に山岸の通る声がよく響いた。

「一体誰にそんな与太話を聞いたよ」
俺は吸いこむようにして最後の麺を飲み込んだ。
ずるずる音を気にしなければ人間はこれほど早くパスタが食べられるのだ。
常識に縛られた食べ方しか出来ない山岸の皿には、まだ半分以上ジェノベーゼが残っている。俺は心の中で勝ち誇った。

「信頼できる情報筋からだよ。なんといっても俺はお前より友達が多い」
山岸は巻いたパスタを口に運ぶが、フォークから飛び出したパスタの先が口の横に緑の線をつける。不器用なやつだ。

「まぁ要するに、鏡ヶ池のガーはお堀のガーの兄弟らしい。そこで一つ頼みがある」
山岸は3枚目のナフキンを引き出して顔を拭く。
食べ終わる頃にはナフキン立ては空になるのではないかと思われた。

「頼みとは一体なんだ」
俺は少し警戒した。前回の色々が脳裏をよぎる。

「なに、そんなに大したことではないよ。君にぴったりだと思う」
そう言って、山岸はナフキンを放った。

「鏡ヶ池のガーにことづけを頼む」

丸められたナフキンがテーブルを転がった。


鏡ヶ池②へ

2017年11月8日水曜日

君はバーガーキングを知っているか

バーガーキングが好きだ。
バーガーの王を名乗っているだけはある。
バーガーキングはハンバーガーではなく「バーガーキング」である。これは以前の記事を読んだ方なら納得して頂けると思う。共感はしなくても理解はして頂けると思う。

君はバーガーキングの店の前に立ち、自動ドアが開くと共に店内へと入る。
レジの前に立ち注文をする。もちろん選ぶのはワッパーだ。
バーガーキングでこれは譲れない。小腹程度であってもワッパーを選ぶべきである。
なぜならワッパーこそがバーガーキングの全てであるからだ。
直火で焼かれたパティの香ばしさ、甘露がごときソース、ちょうど良いバンズが素晴らしい。そして、なんと言っても野菜が多い。マクドナルドでは姿を消したトマトも立派にご健在である。
(念のために言っておくと、ワッパーとはデカいバーガーである。ダブルチーズバーガーよりもデカい)

あとフライドポテトが美味い。
フライドポテト、フレンチフライ、チップス……好きなように呼んで欲しいが、店によって結構ばらつきがある商品である。
おしゃれに皮付き半月に切られたポテトよりも、マクドナルドのようなスティック状のポテトが僕の好みだ。
想像して欲しい。
マクドナルドのポテトを一回り太く、よりホクホク、薄カリにしたポテトこそがバーガーキングのポテトである。脂もマクドナルドより上品な味がする。
(時々祭りで売っている細くてカチカチの洋風芋けんぴのようなポテトや、「モチモチ」という名のだるだるなポテトは論外である)

さて、ウィークポイントとしてはマクドナルドよりも若干値段が張る。
しかしマクドナルドの値段も上がっている昨今、少し贅沢してバーガーキングを食べてみることをお勧めしたい。
名古屋ならば千種イオンと上前津に店舗を構えている。
是非一度足を伸ばして欲しい。
(正直なところワッパー以外の商品は僕には響かなかった。ワッパーを食べろ)

2017年11月7日火曜日

欠席理由

まず最初に謝罪から入らせて頂きます。
私が午前の講義を欠席してしまったことを申し訳なく思っております。
しかし、それにはやむにやまれぬ理由があったことをここに申し開きさせて頂きたいのです。

まず一限でありますが、これは健康に十分な睡眠を取った結果であるため仕方ないのです。
もし、私が健康を犠牲にしてまで講義に間に合う時間に起きていたとしましょう。
虚ろな目で重い身体を引きずり学校へと向かう私。前後不覚にふらつく足取りでは、もしかすると、いや必ずや大きな事故を招いていたであろうことは想像に難くないでしょう。
そもそも何故早く眠りにつかなかったのか、と疑問に思い、あまつさえ私の行いを責める声も上がるでしょう。しかしそれは無知が故である以上、私は寛大な心で受け入れる用意がございます。
私が眠れなかったのは、何を隠そう一限に期待する心の大きすぎたためなのです。
学業へかける強い想いは私の目を爛々と輝かせ、遠足の前日の子供がごとく私のまぶたの閉じる機会を奪ってゆき、結果一限への出席が叶わなかったというのは、なんとも皮肉な話ではないでしょうか。
ここまで聞いた上で私を責めるような、そんな暴虐な行いが出来る人間などいますか(反語)

では二限には何故来なかったと、あなたはそうおっしゃりたい。分かります。
ならば、ここでその事由の一部始終を徹頭徹尾お伝えするしかないでしょう。
安全に登校出来るだけの睡眠を獲得した私が目覚めたのは、惜しくも二限に少しばかり間に合わないような時刻でした。
ならば、遅刻してでも出席出来ただろうと、あなたはそあおっしゃりたい。それも分かっていますよ。
しかし、これにもれっきとした考えあってのことなのだ。
二限が始まっている教室、熱い講義が繰り広げられ、受講生の目は黒板へと釘付けになり、頭の中には極彩色に学問の世界を描き始めていることでしょう。
そこに、なんとも不躾に私が遅れて入ってくる。
熱され膨張していた空気は急激に冷やされて萎み、窓には結露がしたたります。
受講生の目は私をチラと見た後にスマートフォンへと移行し、頭の中の学問の世界からは色が失われ、灰色の瓦礫となって崩れゆくのです。
あぁ、そんな残酷なことが私にどうして出来ましょうか。
いくら致し方ない理由によって遅刻することになったといえ、多くの人間が築いた美しい世界に亀裂を入れるような行いが許されようもありません。
だからこそ私には二限の講義を敬して遠ざける以外の選択肢がなかったのです。
学問への敬意ゆえの欠席であったことは皆様の心に刻んで頂きたいのです。

以上の理由から私は午前の授業をやむなく欠席するに至ったわけです。
ではなぜ、三、四限にも来なかったか、という問いが立てられるでしょう。
それはここまでの話を聞いた聡き皆様におかれましては、あえて説明するまでもないことです。全ては自然と導かれるはずです。

ここから先は自分の目で確かめてくれ!

2017年11月6日月曜日

通信制限

通信制限になった。
11月が始まって2日目の事である。
我が目を疑ったが、確かに今月の通信量が6GBを超えていた。
正確には初日の通信量が6Gであった。

普段遊んでいたアプリゲームは通信をほとんどしない。
それと同じ調子で新しいゲームを始めたところ、どうやら「結構通信しちゃうゲーム」だったらしい。謀られた。ギガが減ってしまった。
いくら自身のふるまいを恥じてみたところで、我がギガが戻ってくるわけではない。

通信制限にかかると何が困るか。
それは至極単純である。Twitterが出来ない。
バズりまくってRT数もファボ数も激しいツイートの画像が表示されない。
ツイートの内容から画像の内容を推測しながら数分待ってようやく画像が表示される。
嬉々として画像を拡大するも、完全には読み込めていなかったらしく、画面いっぱいにモザイクが広がる。苦悶である。

知り合いが気になるツイートをしている。見るとリプ数が2になっている。
しかし、通信制限のスマホではリプ欄を見ることは叶わない。
悶々としながら家に帰り確認。すると一連の話は終わっていて完全に機を逃す。

そんな生活をさらに今日からあと25日送らなければならない。
名古屋の街では十分なWifiは全く期待できない。
地下鉄や店舗のWi-Fiは繋がない方がマシなくらいだ。
休日の外出はしばらく出来なさそうである。

2017年11月5日日曜日

11/5

川名から桜山まで歩いた。
桜山は好きな街だ。
真ん中を古い商店街が貫いていて、街並みを見ているとどこかほっとする。
うどん屋、和菓子屋、古本屋。
店々の前を通り過ぎ、名古屋市博物館にたどり着いた。
今日はピーター・ラビット展の最終日である。
ベアトリクス・ポッター、百年と少し前に彼女が描いた原画を見にきた。
ポッターの描く動物は、彼女の観察と解剖学に基づいた精巧なものだ。
それが二本足で駆け回るから面白い。
そもそも彼女がピーター・ラビット以外にこれほど多くの絵本を描いていた事自体が初耳であった。ウサギに始まり、ネズミ、リス、カエル、ガチョウ…………

展示室と同時に彼女の世界から出る。

桜山からもう少し足を延ばそう。
さらに道を辿り瑞穂運動場を目指す。途中で昼飯。
しばらく歩き瑞穂文化小劇場へ。
下の図書館でしばらく時間をつぶす。ついでにカードを再発行した。
やったぞ、これで本が借りられる。

15時になった。合唱を見に行く。
ホールいっぱいに人の声が響く。
ホールの万分の一程度の小さな声帯から生まれた音が空間を埋め尽くす。
普段から聞き慣れない僕には上手く表現ができないが、それは精強で感傷的で讃歌であった。
会場を出るとすでにあたりは暗くなっていた。
川の流れに並び、また川名を目指した。

2017年11月4日土曜日

朝、目が覚めた時、さっきまで見ていた夢を覚えてないことがある。
その夢はどこへ行ってしまうのだろう。

プレーステーションのゲーム『風のクロノア』のオープニングである。
夢をよく見るだろうか?
余談だが日本語でも英語でも、将来の夢と寝ている時に見る夢を同じ言葉(夢/dream)で表すのが面白い、という話を聞いたことがある。今は後者の話だ。

僕は普段あまり夢を見ないが、二度寝した時はほぼ必ず夢を見る。
運良くか悪くか、良い夢を見ていると、「すごくいいストーリーだった!続きを見逃せない!!」と思い、二度寝が三度寝、四度寝になることがままある。
昔、少しの間(すぐに飽きた)、夢日記をつけていたことがあるのだが、まどろみの中での「素晴らしい物語」は、覚醒後に読むと破綻に破綻を重ねた構成であることがほとんどである。夢の中での論理は、現実の論理とは中々重ならないものである。

これが悪夢になってくるとまた厄介で、ひどい悪夢を見た時は自分の叫び声で目覚めることが多い。僕が見る悪夢は概ね「虫」関連で、夢占いを調べたところ「人間関係嫌悪」とあり、甚だ納得した。
軽めの悪夢としては、待ち合わせをしている日に寝過ごした夢で目が覚める。だいたい早朝に覚醒し、再び眠りにつく気分にならないのが、また難儀である。

寝る前に悩み事などしていると、ろくな夢を見ないようなので、諸兄におかれては、無心で眠りにつく事をオススメする。無心には数を数えるのが良い。

まろみまどろみ。

2017年11月3日金曜日

知恩寺古書市収穫祭

京都は知恩寺で開催された古書市で買ってきた本を紹介する。
今日はそういう日だからご了承を願おう。


《食べ物系》
ゴマの来た道(1986)
エビと日本人(1988)
世界の魚食文化考(1991)
アユと日本人(1992)
日本人のひるめし(2001)
バナナと日本人(2006)

《動物系》
日本人の骨(1963)
サルの赤ちゃん(1964)
進化論の歴史(1969)
パンツをはいたサル(1984)
サルはなぜ群れるのか(1990)
自然保護という思想(1994)
人間はどこまで動物か(1994)
いのちとリズム(1994)
分子生物学入門(2002)

《文系》
かな(1969)
ホモ・モーベンス(1974)
象形文字入門(1978)
詭弁論理学(1980)
噴版 悪魔の辞典(1986)
コミュニケーション技術(1986)
現代論理学入門(1987)
活字のサーカス(1987)
沖縄の歴史と文化(1987)
人はいかに学ぶか(1989)
シャーロック・ホームズの履歴書(1989)
激動の東欧史(1990)
私のロマンと科学(1990)
日本文学史(1990)
インドの大地で(1991)
シャーロック・ホームズ鑑賞学入門(1992)
リンボウ先生偏屈読書録(1995)
旅行のススメ(1996)
芸人(1997)
文化人類学入門(1997)
吟醸酒への招待(1997)
現代たばこ戦争(1999)
童話の国 イギリス(2001)
アメリカ 過去と現在の間(2004)
まともな人(2004)
世にも美しい日本語入門(2006)
老いていくアジア(2008)
ブラジルの流儀(2011)

以上43冊である。
しばらくは読む本に困らなさそうだ。

2017年11月2日木曜日

朗読

朗読バトルを見に行ってきた。
バトルという名の割にはのんびりとしたフレンドリーなイベントである。
朗読する人間が三人、投票する観客が10人前後の小さなイベントだった。

それぞれのスタイルで朗読が始まる。
優勝したのは『100万回生きた猫」を読まれた女性だった。
そんな情景をウイスキーをちびちびやりながら観ていた。

人が何か言葉を発するのが好きだ。
独唱、独白、朗読……一人で何かを喋るのを聞いているのが好きだ。
会話を聞くのはそれほど好きではない。
ただ独りで喋っている声を聞いているのが好きなのだ。

いつから好きになったのか、ということをしばらく考えてみた。
小学校の時に朗読のCDを授業で聞いた記憶がある。
しかし、僕の食指はそれほど動いた覚えはない。

となると、思いつくものが一つある。
『ぼくのなつやすみ』
というプレーステーションのゲームがある。
主人公が田舎の親戚の家で過ごした一夏を思い出すゲームだ。
大人になった「ぼく」のナレーションが強く印象に残っている。
その感情を込めすぎない声が、もうどこにもない田舎の風景と合わさって、心の中にスタート地点を刻んだ。
そんな気がする。



追伸

ナレーションを担当したのはたけし軍団のダンカンである。ばかやろう。

2017年11月1日水曜日

ハンバーガー

一番美味しいハンバーガーはマクドナルドである。
これは私の持論であるが、既に四方八方から罵詈雑言が手裏剣のごとく投げつけられているのを感じる。
しかし、「いや、モスの方が美味しいでしょ」「バーガーキングのが美味い」「名古屋には美味しいハンバーガーがないの?」などという意見に対して、今日は一言を書き残しておきたいのだ。
モスやバーガーキングはハンバーガーではない。
あれらは「超ハンバーガー」であり、ハンバーガーを超えた存在なのだ。

ハンバーガー。それはアメリカで生まれ、いつしか資本主義・画一主義の寵児として祭り上げられた食べ物である。
安い賃金で雇われた労働者が、誰にでも(ある程度は)出来る流れ作業で作り、安い値段で提供されるジャンク・フードなのだ。
そうであるなら、モスやバーガーキング、小洒落たカフェで売られている「ハンバーガー」と名のつけられた食べ物は、ハンバーガーという概念から外れてしまったと言わざるを得ない。ロッテリアは単純に好みでない。

つまりマクドナルドこそが、ハンバーガーと呼べる範囲の中で最も美味しい、逆を返せば美味しすぎないギリギリのラインを攻めた、「一番美味しいハンバーガーチェーン」なのである。
中でもまさにハンバーガー(無印)は100円で買える事が信じられない美味しさである。
普段100円玉を1枚握りしめ、昼食選びに悩んでいる自分にとっては感涙と言っても過言ではない。お金がある時はチーズバーガーも食べられる。
ちなみにお金がある時はビッグマックを食べる。野菜が多くてヘルシーだからだ。
I’m lovin’ it. みんなにも良いマクドナルドライフを送って欲しい。


追伸
映画『スーパー・サイズ・ミー』には「1日にビッグマックを2つ食べる」という猛者も登場していた。私もそんなブルジョワジーになりたいものだ。