2018年3月30日金曜日

えらてん記事とやりがいと働きたくない僕

東京でバー・学習塾を経営し、ベーシックインカムハウスの立ち上げを行うなど最近Twitterを中心に一門を増やしつつある「えらいてんちょう」ことえらてん氏がこんな記事を書いていた。

みんなやってる?正しい「やりがい搾取」の方法論 

この記事を読んで、なんとなく自分は「やりがい拒絶」をしているのでないかと思った。
「やりがい」という感情で自分を動かすと、他人に言いように使われるような気がしていた。

そうなるとアルバイトは自分の時間を切り売りするように感じてしまう。
もっと言えばそもそも何のために働くか、ということが分からなくなった。

「お金のため」というのは分かるのだが、お金を貰ってどうしたいのかが分からない。
お金があったらしたい事も特にないし、生きるためならば最終的に生活保護という生き方もある。

一方で人のために何かする、というのは嫌いではない。
疲れてなければ好きかもしれない。
それが好きな人たちのためならば、より好きだ。

サークルのためにフライヤーやパンフを作ったり、動画を作ったりすること。
彼女のために部屋の片付けや皿洗いをすること。

どちらも自分の好きなことである。
えらてん氏の記事でも書かれた「好きなことで貢献」、まさに「やりがい」である。

自分の場合、それがだいぶ身内よりで、非常に内向きである。
しかし、もし今後「この会社のために働きたい」「働く事で誰かのためになりたい」という高尚で意識が高そうな感じなったら、働く事もやぶさかではないのかもしれない。

というわけで少しずつ外を見て回りたいと思う。
外の世界が待ってるぜー。


考えてみればこれも貢献かもしれないが、「エデンバー名古屋」のロゴコンテスト(?)に応募してみた。当選はしないかもしれないが、好きに使ってもらいたいものだ。


2018年3月26日月曜日

いやなトリビア


ぶっ疲れて死にそうだったので、タイムラインを見ていたところ、まくるめ氏が「いやなトリビア」ハッシュを始めていた。

せっかくなので全力で乗っかった。


とか。

意外なことにまくるめ氏にリツイートを頂き、あとでフォロワーが増えていることに気が付いた。
(知り合いにブロックされてたことにも気が付いた)

珍しくなんちゃって生物系クラスタらしさが出せたので嬉し嬉し。


この「いやな」トリビアというのは何か、というのを少し考える。

普通トリビアとは「知っても得しない」けれど「話題のネタにはなる」トリビアである。
基本的には聞いて「へー、面白いね」となるような雑学だろうか。
人は無駄な知識でも面白いと思える便利な生き物である。
教養を高めていこう。

さて、これの逆をいけばいいだろう。
つまり「知って損をする」「話題のネタにならない」「面白くない」ような雑学である。

知って損をする、とは知らない方が良かった話だろうか。
僕のツイートの中ではこれかもしれない。


今まではブルドッグを見れば、「可愛い」となっていたのが、「帝王切開」がセットになって想起される。可愛さにマイナス要素が付加される。
人間が悪いよ、人間が。家畜に愛はないので良いですが。

知ったことで、今まで持っていた価値が減少する知識。
つまり「損をする」知識である。

あとは「話題のネタにならない」ですが、下ネタにもならないエグみの強いネタ(カエルの死姦)など。
「面白くない」というのは個人の判断なので難しいですね。

結果、「不快な知識」ということになりますね。
雑にまとめました。生理的嫌悪を引きおこしましょう。

なんというか、別にわざわざ解説しなくても、タイムラインを覗けば、「〇〇って良いよね」という無邪気な呟きに対して、「〇〇って本当は、××なんだけどね」と水を差す呟きが幾らでも見られる気がしてきた。
これからも正しさで楽しそうな人達を殴っていこう。
それが僕らインテリもどきの義務である。

2018年3月22日木曜日

話しやすい対象への考察

半年ほど過ごした研究室に後輩が入ってきた。
厳密には4月からだが、ときどき見かけるようになった感じである。
これがですねー話しやすいんですねー(ムツゴロウ風)

さて、この話しやすさはどこから来るのか。
そして、逆に話しにくい相手は何が原因なのかを考察していきたい。

まず後輩であるが、大体の後輩に対しては話しやすい。
これはおそらく僕の方が立場が上だからのように思える。
と言うと「後輩に対して威張る先輩」という死すべき人間像が浮かんでくるが、僕はこれでも後輩に対して腰が低いつもりだ。
(実際にそう思われているかは分からない。死すべきと思われている可能性も十分にある)

まぁ立場が上というか、ちょっとばかし分野に知っているというか。
良い言い方をすれば「相手に貢献しやすい」とも言える。

逆に先輩やもっと年が上の人はどうか。
先輩の場合は、「反応が分かりやすい」人ほど話しやすい。
何を話せばいいか分かりやすいからであると思う。
これも「貢献」かもしれない。
つまりおばちゃんお姉さんぐらいがちょうどいいのである。
お姉さんは何を言っても若者を可愛がってくれる(仕事を一緒にしない限りは)

さて、僕が話づらい相手を考えていたのだが、やはり怖い人である。
怖い人とは僕を怒る立場の人に相違ない。
やはり「怒られるか否か」が安心感があるかないかにつながり、最終的には話しやすいか否かにつながるように思う。

とにかく怒られるのが苦手だ。
怒られそうな人には全く話しかけられない。
ゆえに自分の上司(担当教官)に中々話しかけられないというヤバい状態が発生する。
いまの担当教官はお姉さんであるので話しやすくて非常に助かっている。
(将来的に上司が出来る予定はない(就労予定がない)のでこのまま逃げ切れ)

そう考えてみると、後輩にはそうそう怒られないだろう。
それに後輩は気を使ってくれる。
気を使ってくれる優しい怒らない人が僕は好きだ。
僕もそういう人達にぼちぼち恩を返していきたい。

なんと春から研究室に来る後輩に向けておすすめのレビュー論文も用意している。
後輩は優しい。優しい人と生きていきたい。そんな2018年春。

2018年3月19日月曜日

ギークハウスのドキュメントを見た話

先日、ザ・ノンフィクションでギークハウスが取り上げられていた。
前回の放送が好評だったようで今回は特別編となる。

前回の放送時はツイッターで流れてくるテレビ画像を見て、「何だこれは」と思っていた僕だったが、それから今回までにphaさんを始め色々と界隈についての話を見てきた。
今回はしっかり録画をして見ることに成功した。

「社会に適合できない」という悩みはあるか。
みんな何となく笑いながらそう口にするが、何となく就活して、働いて、社会になっていく。

phaさんは京大卒業後、仕事に就くが社会に馴染めず退職。その後、仲間を集めてシェアハウスを作った。その後も定職にはつかず色々なことをやりながら、頑張らない生き方をしている。そのシェアハウスに住むのも、どこか社会に馴染めない人々だ。
今回は4年間の軌跡と、漫画家 小林銅蟲が連載を得て、結婚していくまでを追っていた。

僕も割と社会に馴染めない方である。
友人とかサークルとか、そういう繋がりでは振る舞えるが、「責任」というものが嫌いだ。生理的嫌悪に近いものを感じる。
アルバイトが続かないとか、同じようなリクルートスーツを着た就活生の集団を見ると胃が痛くなるとか、そういうのは同じところに起因するのだと思う。

phaさんがシェアハウスを作った理由は色々と述べられていたが、総括すると「人は集まっていれば死ににくい」という事だと思う。
「面白い人には死んでほしくない。だから居場所を作りたい」
phaさんはそんな思いを語っていた。

phaさんが学生時代を過ごした京大熊野寮、ここでの経験がシェアハウス作りに活かされている。
自分が「結構ダメな人間」でも、もしそうなったとしても、それでも居られる場所、受け入れてくれる場所。
京大の「自由」で他人に干渉しすぎない校風がそんな場所を作って居たのかもしれない。

大学生の頃の僕もあまり出来た人間ではなかった。
学業に打ち込まず、バイトに打ち込まず、生活を整えない日々を送って居た。
それでもいくらでも居ていい場所がサークルだった。
割とうちのサークルは変な人間に寛容だったのが良かったのかもしれない。

自分が居ていい場所がないと人はやはり死ぬだろうな、と思う。
孤独に苛まれ、冬の海に飛び込みたくて仕方がなかった事もあったが、何とか生活を立て直すことが出来たのは、やはり居場所があったからだと思っている。

phaさん自身が語るように、これから5年後10年後、ギークハウスがどうなっていくのかは分からない。もしかしたら居場所はなくなってしまうかもしれない。
社会に馴染めない人間の一人として、今後の動向を見てゆきたいと思う。


P.S.
ギークハウスだが、名古屋にも名駅の裏に「ギークハウス名古屋」がある。
以前僕もお邪魔させていただいた事がある。
もし興味がある方は調べてみて欲しい。では。

2018年3月18日日曜日

大島てるのライブに行ってきた話

事故物件、というものがある。
簡単に言うと「人が死んだ」部屋である。
人が死んだ、と言ってもただの病死などは当てはまらない(と思う)

つまり自殺、殺人、事故死または病死であっても発見が遅れ腐敗した場合などを指す。
たとえ霊の存在を信じていない人であってもなんとなく嫌な気がするのではないか。
いわゆる「穢れ」とも言えるかもしれない。

自分が住む家が事故物件かどうかを調べたい時に便利なサイトがある。
それが大島てるが運営する「事故物件サイト 大島てる」である。

早速サイトにアクセスして自宅の近所を見てみる。
すると我が家には何もなかったが、周りには炎マークがちらほら……
この炎マークが「事故物件」を表している。
(なお全ての事故物件が載っているわけではなく、日々更新されている)
(あなたの家が載る日も近い)

さて、名古屋は大須OYSに管理人 大島てるがやってくるという事で足を運んで来た。
大島てるは東大出身後海外に渡り、帰国後不動産の道を歩み始めた。
実際に見るのは初めてだったが、低音ボイスの良い声である。

さて、事故物件というのは嫌でも出来てしまうものだ。
そうして事故物件になった建物をどうするか。
事故物件というと値段の安い物件が多いイメージがある。
しかし、なかなか値段を下げるということも難しいらしい。

なるほど、「家賃というのは一種の選抜になっている」というわけだ。
(明言はされていなかったが)ある部屋の家賃を下げれば、自ずとそこに入居する人の質も下がりやすい。質というのは良くない言い方かもしれないが、少なくとも今まで入らなかった人も入れるようになる。
するとマナーなどで近隣トラブルが起こるかもしれない。
もしかすると……再びそこが事故物件になる、という可能性もあるだろう。

「事故物件に入った人間が再び事故死」という怪談が生まれる理由の一つがここにあるかもしれないと思った。

面白いと思ったのは、逆に家賃が高くなるパターンもある、ということだ。
築年が経った住居で事故死が起こる→リフォームをする、となると他の部屋に比べて設備が最新の部屋が出来上がる。ゆえに家賃が上がってしまう、ということもあるらしい。

大島てる曰く「きちんとリフォームをする所は良心的」である。
なぜなら後から入る人のためになるからである。
悪質なのは「建物の名前を変える」「外装を変える」ケース。
別に住人のためにもならないし、誰も得をしない。
(大家が得をしないのは大島てるサイトの存在ゆえだが)

その他にも大島てるから興味深い話が色々と飛び出す。
大島てるは話が格別に上手い、ということはないように思う。
しかし、満員の客を集め楽しまさせるのは、話のテクニックよりもその内容にみんなが興味を持って集まって来ているからなのだろう。実際、僕も非常に楽しかった。

最後に得になる話を一つ。
新しく入居する際、事故物件の場合は告知義務がある。
あなたが知らずに住んでいるということはないだろう、安心してほしい。

ただ、あなたの部屋以外の部屋での事故に告知義務はない。
本当にあなたの部屋の隣、人が住んでいますか?

2018年3月13日火曜日

生活を手に

「生活」というのが手から離れていっていないだろうか。
生活に必要な物は全てお金で揃う時代である。
普段は働いてお金を稼ぎ、そのお金で食事や衣服を購入する。
(僕は稼いでいないが)

近代社会では分業・専門化が進んでいって、いわゆる「衣食住」から仕事も日常の生活も離れていきがちである。
そうなると僕らは中間の「お金」というものを右から左に流すだけになりがちだ。

そんな生活を続けていくと、「生きる」ということが手から離れていっているように感じることがある。
「生きるため」に働いていると言っているが、本当に生きていくための行為なのか。
そんな疑問が浮かぶ。

という思いもあり、あえて専門に逆らってみることがある。
自分の普段作らないような料理を作ってみる。
自分でちょっとした小物を作ってみる。

最近は破れたジーパンを利用してカバンを作ってみた。
あまり人の目の近くに持っていける出来ではないが、少なくとも物は運べそうだ。

こうして手を動かして「生きる」ことに近い仕事をこなす。
すると少し生きている実感が増すような気がするのだ。

2018年3月12日月曜日

中古本は悪か

最近、ブックオフオンラインのホームページが改善された。
前の非常に使いづらいシステムから、まぁまぁなシステムになった。

さて、Amazonという便利なサイトがある中で、なんでブックオフオンラインを使うかであるが「安い」に尽きると思う。
もちろん品揃えで見ればAmazonの方が遥かに良い(なんでもある)のだが、大きな違いは最低価格にある。
Amazonマーケットでの最低価格は1円である。
しかしこれにプラスして送料がかかる。
いま参考に見た中古の文庫本では257円だった。よって合計258円。

一方ブックオフオンラインでの最低価格は99円(たぶん)
さて、問題の送料であるがブックオフオンラインの場合、1500円以上の購入で送料が無料になる。この送料無料がブックオフオンラインを利用する主な理由である。
アマゾンだと送料が高くなるような大型本も気軽に注文できる。
到着は名古屋の我が家で1週間かからなかった。

安く本をまとめ買い出来てほくほくであるが、ここで一つ疑問が生まれる。

「もしかして僕はいけない事をしているんじゃないか?」

本には著者がいて、その本を売り出す出版社がいて書店がいる。
僕が中古で本を買った時、その誰にもお金が入らない。
(新品の本と中古の本の両方を取り扱う書店もあるが)

ある作家の作品が好きでも、ブックオフで中古価格が下がるのを待って買っていたら、いくら集めても作家にはお金が入らない。
作家の作品の売り上げとしてもカウントされないので、作品の人気が低く見積もられて連載が打ち切られる可能性もある。

最近は漫画村について漫画家が直接に注意喚起などを行っている光景を良く見る。
中古本ならばまだ新品での販売を経由しているが、それすら経由しない違法アップロードによるダメージはあまりにも大きいだろう。

しかし合法であるとはいえ、これほど大きくなった中古本市場が書籍業界に与えるダメージも大きいのではないだろうか。
かつて小型古書店が多かった頃は、欲しい中古本を入手するのは今よりもずっと困難だったはずだ。
しかし時間は流れ、ブックオフのような大型古書店が増え、そしてインターネットで手軽に古書を入手できるようになった。
(今はブックオフも苦しそうだが)

ここで一つ議題を考えてみる。
「古書店が無ければ新品の本の売り上げはあがるか」

・一点目(メリット)
漫画村問題でもよく見る意見としてあるのは「無料で読めるから読むのであって、金を出してまで買わない」というものである。
これは中古本でも同じで「中古で買えるから買う。新品では買わない」という集団が想定される。
しかしこの集団は中古本を買う集団の一部である。
ただの勘だが「8割」くらいじゃないだろうか。
2割くらいの人は書店で本を購入するようになる。

だがその人たちが中古で買っていた本を全て新品で買うようになるだろうか。
書籍にかける費用が今までよりもずっと大きくなるだろうか。
僕はならないと思う。
今まで中古本に使っていた費用で新品の本を買うと考える。
そのため、「2割」の人が中古本に使っていたお金がそのまま新品に回るかもしれない。


・二点目(デメリット)
これも漫画村と共通する問題であるが、「漫画村で初めて存在を知った」という意見である。
ブックオフを歩いていると新刊書店では出会えなかったような本に出会えることが多い。
特に漫画。
漫画は立ち読みしやすい。扱いの荒い子供もよく読む。そのため漫画にはカバーがかけられ中を確認できない。わざわざ店員さんに言って中を確認させてもらっている人なんて見たこともない。

僕もブックオフを通して新しくファンになった作者も多い。
少し古い作品を中古で買って、新作は新品で買い始めることも珍しくない。
もちろん中古でしか買わない集団も存在する。
漫画は星の数ほど(それほどはないが)あるのだし、作者に金が入らなくても構わないならば、安く本を手に入れる合理的な選択だと思う。

こうした本との出会いを新品書店が提供できてないのは事実である。
中が少し読めるようにした漫画も、基本的には新刊本のごく少ない冊数に限られる。
ニッチな漫画はどんどん埋もれていく。
SNSの口コミで売れる漫画も存在するが、それを見て「私たちも驚いた」とか言ってる出版社は自力で売る努力をすべきだと思うが。


とりあえず僕が思いついた大きな点はこの二つである。
1点目のメリットと2点目のデメリット、どちらが大きいと思うだろうか。
少し考えてほしい。

本当は「中が読める漫画は売れないのか」とか「全漫画家タレント化」みたいな話もしたかったのだが、長くなったので今日はここまでにする。

最後になるが「作者を応援するなら書籍を買うべき」とか「違法アップロードされた作品をみんなが読んだら文化が衰退する」という話を最近よく聞く。
「文化が衰退するのではなく、新しいフェーズへ移行する」という話も聞いた。

まぁ少なくとも出版社業界は衰退するだろう。それと文化はまた別の話だ。
ただ、出版社業界が衰退し余裕がなくなれば、これまで以上に実力が突出した人間以外は書籍を出せなくなるだろう。
今は誰でもインターネットに作品を投稿できる時代になった。
それは誰にでもチャンスがあると同時に群雄割拠の時代である。
作家をじっくり育てられる出版社というのがまだ必要なんじゃないかと僕は思う。
いま出版社にその力があるかは分からないが、5年後くらいにはもっと分かりやすくなっているだろう。

2018年3月9日金曜日

スライ・クーパー2

前にスライ・クーパーについて書いたが、ちょうど先日2をクリアした。
というわけで今回は前の記事がなんのことか分からない人には、更に困惑を深める内容となっている。

スライ・クーパーは怪盗ゲーと言いつつもコースゲーだった、ということは前回書いた。
「クラッシュ・バンディクーかよ!」と思った。
ところがスライ・クーパー2はゲームシステムが大きく変わっている。

まず、前作は「コースをこなして鍵を集め、ボスのところにたどり着く」ゲームだったが、今回はステージ上のミッションをこなしてクロック・ヴェルクのパーツを盗み出すのが目的。ちゃんと「怪盗ゲー」として成り立っている!!
(ルパン三世みたいな怪盗である)

前作では一発KO残機制で色々と不満もあったが、今回は体力性残機なしに変更されている。そのため難易度はやや低下。が、テンポは良くなっている。やり直しもし易い。
チェックポイントがやたら多くてストレスが溜まりにくい。

またプレイヤーキャラクターに、前回はサポートに徹していた亀のベントレーとカバのマーレーが追加。今回は各キャラクターの個性を活かしたミッションをこなしていくことになる。
なぜか今作ではマーレーがパワーキャラとなっている。前作では敵キャラから逃げ回るだけだったのに...成長したな...
(なお前作の「凄腕ドライバー」という特技は忘れ去られている)

敵キャラの体力が増加し、クーパーでの基本プレイは戦闘を避け、隠れながら進み、後ろから暗殺、というのも怪盗(?)らしくていい。(アサシンかもしれない)
一方でマーレーなら正面から挑んでも二発でKOでき、知能派のベントレーは睡眠弾と爆弾で進んでいく、というキャラごとの差別化もお見事。
(キャラ性能差がただの劣化キャラを作りがちなだけに上手だと思う)

さて、特に今作で素晴らしいのはストーリーである。
スライ、ベントレー、マーレーの友情が結構描かれていて、中でもベントレーが一人で敵のアジトに仲間を助けに行く物語は熱かった。

また前作ではそれほど知能派な面が見えなかったベントレーだが、今作では複雑(本当に複雑)な怪盗計画のほぼ全てが彼の発案である。
この遠回りで地道な怪盗計画が、作戦を実行してる感を増してくれる。面白い。

エンディングは次作につながりを残していて、さて3ではどうなるのかワクワクである。


おいっ!!



P.S.
実はPS3で1-3作を収録したパックが販売されているそうなので、興味がある人はこの機会にぜひプレイしてみてください(Amazonリンク)





2018年3月5日月曜日

ヘラったメンタルの回復に役に立った方法を紹介する

昨日に続いてメンのヘラ回復にまつわるお話です。
昨日同様にあくまで僕個人の体験談なので、他の人にどんな影響が出るかは分かりません。とりあえず参考までにお読みください。

さて、昨日の通り当時の僕は極度に自信喪失状態にあったわけです。
ゆえに人とコミュニケーションをとりづらい、という若干の対人恐怖などもあったりと、なかなかに面倒な状態だった気がします。
(所属していた音楽サークルはしばらく行くか迷っていましたが、行ってみたら行けた、ので復帰しました。そんなにバンド活動もしてなかったのが良かったかもしれないです)

昨日紹介した本によれば、自信とは「人から愛されている自信」を土台にして、「健康で自分がコントロールできるという自信」「何かをすることが出来る自信」が積みあがっているそうです。
当時はそれら3つともが喪失状態にあったため、まずは休養が必要だったのだろうかなぁと振り返って思います。
実家暮らしだったため天涯孤独というわけでもないですが、家族との関係もなかなか上手くいかずに苦しかった時期になります。自分のコントロールも上手くできておらず(それは昔からでしたが)、何かを出来る自信もそれに伴い喪失、といった感じです。

さて、まぁそこから休学やらなんやらがあったのですが、僕の思い出話は別に面白い部分もそれほどない、強いて言えばアクセルとブレーキを踏み間違えて、車がブロック塀を登りかけた話ぐらいしかないので、実践的な話に移ります。

自分がやっていたのは最近流行りのマインドフルネスのような、瞑想のような...
そんなぼんやりとした何かです。
子供のころからの性分だったのですが、自分は「自分のミスを認める」というのが非常に苦手でした。おそらくなまじっか勉強が出来たせいもあるのでしょう。

それゆえ、これまでの行動で形成されてきた「自分」の中に自分で認められない部分が多かったように思います。
そういう自分の失敗の記憶が時々浮かび上がってきてはメンをヘラさせるため、まずはそういう記憶を思いつく限りにノートに書くことにしました。
いわゆる「客観視」というやつです。

「なんてことはない」と思ってはいたのになかなか消化できなかった思い出も、紙に書きだすことで「なんてことない」を再確認でき、自分の胃へと飲み込んでいけました。
ついでに失敗ではなくても、思い出した昔の記憶もとりあえずメモしておきました。

最初のうちはどんどんと思いついていたのですが、次第にすぐには浮かんでこなくなりました。
このあたりから瞑想のようなものを並行して行っていきました。

僕が行っていたのは昨日も紹介した「数え呼吸法」です。
ただゆっくり呼吸しながら、頭の中で1から100まで数えるだけの簡単なやつです。

これは別に数を数えたいわけではなく、数を数えるという「どうでもいい」作業に集中していくことで、普段頭の中で無意識のうちに現れてくる色々な考えを一時的に止める、というものです。
瞑想の中でも数を数えるという明確な作業があるので簡単な方だとだと思います。

まぁ実際やると、気が付くと別のことを考えています。
それに気が付いてメモしておく、そしてまた数える。
というのを少しずつ続けました。

こうして心を風船のように膨らましていた不安や記憶を少しずつ書き出して消化していった、という感じです。そういう不安や記憶はなかったことには出来ず、消化するしかないのだなと思っています。
ただ、僕は大きな不幸などがあったわけではなく、小さい不安の長年の積み重ねだったので、どうしても消化できない大きな不幸がある方は専門家への相談をおすすめします。

「数え呼吸法」に慣れたら、数を数えず呼吸に集中するだけの「呼吸瞑想」も試してみました。集中する対象が、数を数えるという「作業らしい」ものが、呼吸という普段やっているものに変わったため少し難易度が上がります。

どちらにせよ大切なのは、「自分がいつの間にか別のことを考えている」ということに「気が付く」ということです。
僕らは普段無意識のうちに考え事をしたり悩んだりしています。
まずはそれを「意識下に持ってこよう」というのが目的です。

人は無意識の行動を変えられないが、意識的な行動なら変えられる、というのは心理学的にも言われていることです。(たしか)

「あ、いま自分悩んでるな」とか「あー不安を感じてるなー」とかのように、自分を客観的に見られるようになるのが瞑想の目的だと思ってください。

客観視することでまた少し余裕も生まれてきます。
悩んだり、不安を感じるのは仕方ないことです。まずはそういう反応をする自分を認めましょう。否定すると辛いです。
その上でその不安や悩みへの対処法を考えていくと良いです。楽です。
その時も紙に書いて考えると客観的に見れて良いです。楽です。
こうして自分のコントロール感を増やしていけるといいと思います。
(いわゆる「第二の自信」がつきます)


そろそろまとめます。
僕が行ったのは
・今自分の中に詰まってる不安などを書き出して、消化
・余裕が生まれてきたら、自分が悩みや不安を感じている時に気がつく
・少しずつコントロール感を身に着けていく


と言った感じです。
これだけですが、余裕が結構出てくると思います。
余裕が出てくれば視野も広くなりますし、色々と安定します(曖昧)

また、瞑想すると前頭前野部が発達して感情がコントロールしやすくなる、というようなお話もありますし、一日に5分でもやってみて損はないと思います。

それでは今日はこのくらいで。

2018年3月4日日曜日

メンがヘラっていた時に助けになった本を紹介する

2年ほど前にメンタルがヘラって、1年ほど前までそのヘラが続いていた。
しばらく学校を休んだり、就活のようなものをしてみたりしていたのだが、それ以外は主に本を読んだりゲームをしたりしていた。
その時に読んだ本で「メンタル回復の助けになった」と思っている本を紹介したいと思う。

なお、僕はうつとは診断されなかった(病院にかかっていたら診断されていたかもしれない)し、僕の回復薬となった本が僕以外にも効果があるかは分からない。
あくまで個人的な備忘録だと思った上で参考にして欲しい。


【自衛隊メンタル教官が教えてきた  自信がある人に変わるたった1つの方法】


いきなり胡散臭い本だが、僕もそう思いながら書店で手に取った。
ちょっと読んでみたところ、内容が具体的で納得のいくものだったので購入。

「自分の評価基準が厳しい」「過度に他人に迷惑をかけることに躊躇する」など自信がない人の特徴に当てはまるように感じた。

当時は担当教官に話しかけるまでに1時間かかるなど、「自信を酷く喪失している」という自認もあったので、「そもそも自信とは何か」などが学べてよかった。

自信は「第1、2、3の自信」とい3つに分かれ、3を土台として2.1と積み上がっているものである。第1の自信は「何かを出来る」という自信。第2の自信は「健康で自分をコントールして何かに取り組める」という自信。第3の自信は「人から愛されている」という自信である。と著者は述べている。

当時は全部の自信がないような気がした。

自信喪失のパターンや、自信をつけるための考え方の転換、自信がつくように自分を評価する方法など、実践的な内容が書かれたいたが、自分はそれで回復する以上に自信喪失状態にあったため大きな改善とはならず。しかし内容は的を射ていると感じたため、同著者の他の本を当たることにした。


【うつからの脱出 プチ認知療法で「自信回復作戦」】


一冊目と同じ著者の本。
タイトルにもあるように「認知療法」を中心として書かれている。
そもそも認知療法がどんなものかも知らず読んだが、最初に「認知療法の失敗例」から始まっていて、なんとなく信用したのを覚えている。

自分でも実践出来そうな簡単な認知療法の実例がいくつか紹介されていて、僕は「数え呼吸法(ゆっくり数えながら1から100まで数を数える)」が気に入った。

この本を読んだり、呼吸に気を配っているうちに、自分が否定して見ないようにしてきたダメな部分に少しずつ目を向けていけるようになった気がする。


【だから仏教は面白い!】


ニコニコ動画やツイキャスで「ニー仏(ニート仏教研究者)」として活動する魚川さんの本。
元々ツイッターでもフォローしていたので気になって購入。(ニートだし)
「そもそもブッダの仏教とは何だったのか?」について、対話形式で説明されていてとても分かりやすく面白かった。

仏教の思想、というのがこの時ずいぶんと自分にしっくりきた。
人が持つ感情というのは「感覚情報」を自ら物語にしていることで生まれてくる、というのが面白く、「そうだ!そうだ!」となった。
(本当はもう少し専門用語が出るのだが、そこはさらっとしておく)

つまりは可愛い女の子を見て「好きだ」と思うのは、皮膚や髪やその他さまざまなイメージを自ら「可愛い女の子」という物語にして、そこから好きという感情を作っている。
それは人の「癖」である。
みたいなのが、縁起やらなんやらなのである。


【仏教思想のゼロポイント 「悟り」とはなにか】


仏教の思想に興味を持ったので、同じ魚川さんの著書を読んだ。
この本はほぼ専門書で、なかなか理解するのは難しかった
(今でも完全に理解はしていない)

内容としては「だから仏教は面白い!」をより専門的体系的に書いてある、といった感じだ。

仏教(上座部仏教)の基本である瞑想(やマインドフルネス)についての記述も多く、瞑想に興味を持つ。
ここで「瞑想って数え呼吸法と同じじゃん!!」という事に気がつく。

ここからは瞑想 兼 認知療法として、「自分を見つめ直す」という事を色々と行っていった。その実践法についてはまた別の記事で書きたいと思う。


【しないことリスト】


カリスマニートとなったpha氏の本。
pha氏自身が、「もうこれはしなくてもいいかな」と思った物について書いてある。
前々から僕も「働きたくないなぁ」と思っていたりもしていたのだが、それもあって将来の不安的なものが大きかった。
そもそも自縄自縛、自分で制限をつけて苦しんでいる、とは分かっていたのだが、その「癖」から少し抜けるのには大分時間がかかった。

僕自身がニートを目指す、というわけではなく、多様なライフスタイルがあること、「こういう感じでも生きてるよ」という感じがなんとなく嬉しかった。

pha氏の本は他にも何冊か読んだけど、これが一番好きだった。


【発酵文化人類学】


小倉ヒラクさんの本。
メンタルとか生き方の本とかでは全くないが、自分の専門の「農学・生物学」への興味を再燃させてくれた本。
やっぱり農学って楽しいなー、と思った。
日本各地の不思議な発酵食品についてのみならず、レヴィ・ストレースを引用しながら「文化」というものについて語っていく。
面白かった。



などなどこんな感じの本を通して、僕は「自分を見つめなおしていく」というフェーズに移っていった。
こうした本との出会いがなければ、回復はもう少し遅れていたように思う。

「自分を見つめ直す」事も含めて、また後日実践した諸々については書きたいと思う。

2018年3月3日土曜日

スライ・クーパー


アライグマが闇夜を駆ける。
友の亀とカバとともに、先祖の誇りを取り戻すために...

怪盗スライ・クーパーとはそんなゲームである。

PS2のアクションゲームで開発はサッカーパンチプロダクション。
僕らの好きなノーティドッグやインソムニアックミュージアムと同じSCEワールドワイドスタジオ所属のゲームスタジオである。

主人公はスライ・クーパー、アライグマの青年。
代々義賊の家庭に生まれた彼は幼いころに悪の組織「ディアボリック・ファイヴ」によって父を殺される。
その時、彼の家に伝わる秘伝書も奴らの手に渡ってしまった。

孤児院で少年期を過ごした彼はそこで親友と出会う。
天才ハッカーで頭脳派の亀 ベントレー、運転のプロで弱虫のカバ マーレー。
彼らとともに怪盗団を結成したスライは秘伝書を奪い返すために、ディアボリック・ファイヴに戦いを挑んでいく...


とまぁそんなあらすじである。
ゲームシステムは「怪盗」というよりはコース制のアクションゲームの要素が強い。
(実はより怪盗性の強くなった2を今プレイ中なので、またそれについても書きたい)

体力はない。
この場合、「無敵」or「即死」というのが基本だが、このゲームは後者である。
即死×残機性なので何度もゲームオーバーするが、コース性なのでそんなにデメリットもない。
となると残機性である必要もないような気もしてくるが...

コース制のアクションゲームとしてはアクションのキレが良いのは強み。
コースに散りばめられた暗号文を回収することで、コースごとに新しいアクションを獲得できる。
このアクションは獲得しなくてもストーリークリアが可能だが、獲得するたびにプレイに新しい刺激が加わって良い。
難易度はちょいムズくらい。子供でも上手い子ならクリアできると思う。


このゲームで一番気に入っているのはなんといってもアメコミ風のムービーである。
新ステージに足を踏み入れると、ディアボリックファイヴのメンバーの紹介が始まる。
このメンバー達は今でこそ悪人だが、みんな幼いころは様々な理由で虐げられてきた者ばかりである。バットマンみたい。
彼らの背景をざっと紹介してからステージをプレイし、ステージプレイ後はその土地でバカンスを満喫するスライ達の姿が描かれる。
こういうところもクールで良いのだ。

そして、細かいところだが、ステージ選択画面の周りに、コースをクリアするたびにお土産が増えていく。これがなんとなく楽しい。
ゲームを通した雰囲気作りに一貫性があって、これは良いゲームだと思った。

実はPS3でスライクーパー1,2と日本では未発売の3が入ったパックが売られているそうなので、ぜひ買ってプレイしてみて欲しい。
大人向けではないが、大人のプレイにも十分堪えるゲームだと思う。

2018年3月1日木曜日

またしても目の疲れの話

何回も何回も夕方に頭が重い話をしているが、今日もそんな話だ。
これまでに「たぶん姿勢が悪いせい」→「眼精疲労と首の疲れによる緊張性頭痛」と話が推移してきたが、今回はその眼精疲労についてである。

先日、僕は一つの結論を得た。
というか、ためしてガッテン!というやや怪しい番組を見て思った。

「眼鏡の度数が強すぎるのではないか?」

どうやら「ものがとてもよく見える」のと「目が楽」は別の問題らしい。
(考えてみれば当たり前である)

僕は視力がバカみたいに悪い。
おかげで眼鏡がないとふらふらとしてしまいバカみたいである。

そんなわけで「はっきりと見える」眼鏡を作ってもらって使っている。
だいぶ度数は高い。
実際、「こんなところでどうですか?」と眼鏡屋では度数の確認をされるわけだが、そんな数分で目が疲れるかどうか分かろうはずもない。
もしかするとこの眼鏡の度数、目にとって負担なのでは?
(すでに数年かけているが)

というわけで、思い立ったが吉日。
明日、眼科に行こうと思う。

もしこの頭の重さがなくなるのなら。
僕の活動量は倍になると言っても過言ではない。
僕のアクティブさが低いのに文句を言う人間は、頭の重さを味わって欲しいものだ。

いや、みんなが頭が軽くなればいい。
心優しい僕はそう願うのだ。
特に僕の頭は中身に見合った軽さになるべきだ。切実に。