2017年1月30日月曜日

決定権


前回、「自分の中でのリーダーがなかなか決まらず、国の治安がまとまらない」ということを書いた。

今でこそ国王たる自分はおどおどしているだけじゃなく、少しずつでも自分の中の勢力に「自ら」決定して援助をしていく必要があるのだと思う。

つまりは国王の権力の復興である。

今、国王の僕の言葉は国民たちに軽く扱われている。僕が「早く起きるのじゃ」と言ったところで、僕の中では「睡眠党」が利権を主張し、「指導力なき国王」はお飾りになってしまっているのである。

ここは王権復古の大号令が如く、王の力を取り戻し、国内での発言力を増していく必要がある。
「王の言葉に従えば利益がある」ということを国民に知らしめるのだ。

というわけで細々したことから自分の意思で行ってゆき、それによる旨味を享受していきたい。
そーら筋トレ筋トレ。



2017年1月25日水曜日

リーダー不在


人とは一人に見えて一人ではないのである。

というのは、「あなたには支えてくれる人がいる」ということではない。

例えばある人の目の前にケーキがある。
その時、その人は「ケーキを食べたい人」「ダイエットのために食べたくない人」で主な成分が構成されることになる。
そうじゃない人もいるかもしれないが、それはどうでもいい。

意志の強い人、というのはおそらく後者のダイエット志向の自分が、他の自分を統率することが出来る人なのだろう。
目的に合わせた自分に安定的にリーダーシップを発揮させられる人、というのが集中力があり意志の強い人となるのである。たぶん。

自分はおそらくある程度弱っている状態である、と自分自身は考えている。そんな自分の中では、様々な自分が独立を宣言したり、反対デモを起こしたり、武力行使で反乱を収めようとしたり、無権力状態になっている。
実際はそこまで酷くはないかもしれないが、とりあえず我がジャネイロ国は政治不安が広がっている。

この中で、様々な勢力が力を増したと思ったら、他の勢力に負けて弱くなったりして、なかなか国をまとめるリーダーが現れてくれないのである。

国王たる僕は「夢に向かって突き進む僕」とか「仕事にぶつかりながらも成長していく僕」とかカッコいい僕に頑張って欲しいのだが、どうも彼らはまだ勢力的にはだいぶニッチらしい。代わりに「寝てたい僕」とか「だらだらしてたい僕」はジャネイロ国民の大きな支持を受けているらしく、国王は国の未来を憂いている。

まぁそんな訳だから、僕はニッチの勢力に援助を出して彼らの頑張りに期待したいところなのである。

というわけで頑張れカッコいい僕!!



2017年1月24日火曜日

働きたくない病


自分はいわゆる「働きたくない病」なので、働きたくないのである。

「そんなのみんな働きたくないんだよ!甘えるな!」と言われるかもしれないが、別にあなたに何かサポートをお願いした覚えはないし、働きたくないなら、どうぞ働かずにどうぞ、としか言えない。
働かなきゃいけないと思ってるから、働いてるのだろうし、働かないデメリット(金銭、機会の喪失など)も分かっているのだろう。

それを踏まえて働かないという選択肢を選ぶ人は、強固な意志を持っているか、生活に余裕があるか、僕と同じ働きたくない病だと思う。

まぁ病気であるので、治さなければいけないとは思う。
ただ、現状を言えば「まぁ治ればなぁ」という時と、「いや無理無理働きたくない、無理無理」という時で波がある。

今この記事を書いている時は後者である。

「働きたくない病」にかかると働く事のメリットよりもデメリットが大きく感じられるようになる。これは言い訳ではなく、自分の中で確かに「メリット<デメリット」を強く感じる。これにより働く事の意義が感じられなくなる。

そうした中で何かの労働(または準ずる行為)に勤しむ事になると、自分にとって役に立たない、無意味、むしろ害、の行為を行っている気分になる。

昔こんな話を聞いた。ある人に穴を掘らせる。ある程度まで大きな穴が掘れたら埋めさせる。そしてまた掘らせる。
この作業に従事した人は気が狂うそうだ。
これは刑務所で行われた拷問だそうだ。

働きたくない病で仕事をする。意義のなく思われる作業を続ける。すると精神的にひどく不安定になる。
「意義のない仕事」を続ける自分自身が「意義のない存在」に思われてくる。しかし周囲からは当然のようにそれを求められる。意義のない仕事、意義のない日々、自信は低下し、自分の存在が揺らいでいく。
意義を感じられない自分を否定しなければならないのか、それとも周りが狂っているのだろうか。周囲との中での自分が揺らいでいく。自分の中の自分、周囲の中の自分、理想の自分、現実の自分、境界線が揺らいでいく。
視界のピントがずれていく。

というわけで自分は戦略的撤退をしている訳である。
「認知のズレ」というのはうつ病などでもよく聞く原因であるが、それが一因なのかもしれない。
「社会の男というものは、たとい詰まらない仕事であっても、生きるために仕事をするものなのだ」という認知が「正常」であるのかもしれない。
そうだとしたら、自分にはそんな認知はいらないと感じる。
自分は病気であろうか?治すべきだろうか?

波底のベントスはそう考えている。
浮上はもう少し。