2018年10月24日水曜日

日記

ワナビもすなるブログと言うものを、僕もしてみむとてするなり。
そもそも僕はワナビである。

さて、久方ぶりのブログの更新であるが、皆様いかがお過ごしだろうか。
近頃とんと寒くなってきた。体調などに留意すべし。
そもそも体調管理とは大人であれば出来て当然の基本のキである。

さて、僕はというとたっぷりと体調を崩している。
頭の重さたるや、首やら肩に数匹のコアラがへばりつき、憎たらしく昼寝でもしているのではないかと思うほどである。
そもそもコアラの憎たらしくも愛らしい顔が分からない、という人については、一刻も早く東山動物園の門を叩いて欲しい。入場料は500円である。

さて、「さて~そもそも」で結ぶ構文を意味なく繋げていても話が進まないのだが、もともとこのブログはこのように僕が思い切り言葉を弄すために設けた場であるからして、久々の「言葉弄し欲」の爆発については大目に見るのが、当ブログの優しい読者方が持つべき初歩的技能である。
長い一文だ。どうぞ僕の文章力の寡少さに酔いしれて欲しい。
そもそもがそういうブログであることを初読者は心に留めよ。

さて、なぜコアラを首にへばりつかせてまで(比喩)ブログの更新をしようと思ったかについて、この場で話さずにおいて良いだろうか(反語)
その深い意味を説明するのには骨が折れる。骨粗鬆症と見まごうばかりに折れる。
(当ブログは骨粗鬆症の方を馬鹿にしてはおりません。人類みな兄弟)
だが、せっかくなので聞いて欲しい。コーヒーなどを用意すべし。
つまり!最近文章を書く機会が減ってきて!寂しかった!!からである!!!!
「僕はこんなにも言葉を弄しているぞ!」
「みんなが使う日本語を正しく使っているはずなのに、馬鹿にされている気分になる文章が書けるのだぞ!」
という僕の山の上からの寂しい叫びを、麓でスローライフを満喫する素晴らしく人徳の高い人々に聞いて欲しかったのだ。僕は人徳が低いから。
説明は以上である。
残ったコーヒーは部屋の匂い消しに使ってほしい。
そもそも僕が寂しがりやであるということを、よもや忘れたわけではあるまい。

というわけでこれからは時を見てブログを更新させていただきたいと思う。
内容はない。ワナビなので。

2018年5月1日火曜日

名デン「め氏」レポート



闇である。

闇を食べる会ではない。
名デン「め氏」が開かれたのだ。

*名デンとは
「イベントバーエデン名古屋」の略称。

様々なイベントが開かれる謎のバーである。

ある日、Twitterに流れてきた一枚の画像。



謎である。
全てが謎である。
しかし、どうやら何か美味しい物が食べられるような気がした。

ということで、店長(料理長?)ないしま氏の下へ馳せ参じた。



別の闇である(イカホルモンの墨作り)
罪作りに美味い。



ローストビーフである。
言うまでもないが美味い。

名デン「め氏」とは何か。
それは会費を払えば二日間にわたり美味い物を食べ続けられるイベントである。
ということを知った。



白子である。切ない程の美味さだった。



蒸し牡蠣である。
ないしま氏がテンションが上がって予定になかった牡蠣を買ってきた。

会費は4000円。
一見すると高い(それでも飲み会1回分くらいだが)が、実質、昼・夜・朝・昼・夜の5食(というか常に料理が出てくる)に加え、宿泊可を考えると理解を超えたコスパである。
そして美味い。なによりかにより美味い。
紹介しきれないが、これ以外にも様々に美味い飯に出会えた。

この「め氏」であるが、第二回も開かれるようである。
そして参加者が増えるほどに豪華さが増していくらしいので、もし興味を持った人がいたらぜひ参加してほしい。
僕はすでに参加を考えている。一緒に行こう。

思い返していたらお腹が空いてきたので、レバーペーストの写真でお別れしよう。
これも美味い。

2018年4月25日水曜日

疲れってなんなんだ

疲れのエコシステムが崩壊しがちな皆さんこんにちは。
エコシステムとは言ってみましたが、正しい使い方なのかは分かっていません。
ようは収支決算が下手くそで雪だるま式に溜まる借金がごとく疲れをその身に溜めている我々の話です。

なんか普通に生活してても疲れがたまっていく日々を送りがちですが、健康な人間は日々溢れる活力を感じているらしいですよ。僕は今不公平な思いに胸がいっぱいです。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

まぁ腐っていてもしょうがないので、疲れとは何かを考えていこうと思います。
敵を知り我が身を知れば百戦危うからずというやつです。
敵はSiriです。Googleアシスタントは味方です。
(当ブログは医師の監修などは一切受けていないので、健康被害などが起こったとしても僕のせいにしないでください。全ては前世のカルマのせいです)

僕らの身体には毎時毎分毎秒、「疲れ」が入ってきます。
入ってきた疲れは、健全な肉体のナイスガイであれば、その日のうちに全て消化・放出されていきます。
しかし、入ってくる疲れの多い生き辛い人間や、疲れの消化・放出が不得手な生き辛い人間だと、疲れを清算出来ません。
ゆえに疲れが翌日も持ち越されると考えられます。

さて、具体的に「疲れ」とはなんでしょうか。
疲れは「肉体の疲れ」「神経(心)の疲れ」に大別されます。

肉体の疲れとは運動などによって身体に乳酸が溜まったり、その人の一日の活動限界に近づいたり超えたりすることで、身体から発せられる危険信号です。
「痛みがなくなると危険」というのはドラえもんの「ヘソリンスタンド」でもみんな学習済みだと思います。知らない人はググってください。
我々は痛みに耐えて行動しようとしがちですが、漫画では工事現場で起こる事故などの危険信号を無視すると大体は土地の守り神のような存在に祟られることになります。
御神酒を備えましょう。

神経(心)の疲れというのは、たぶん精神的ストレスなどにより神経が過剰に興奮して身体に危険信号を送ることで、身体全体が緊急モードになることによる疲れや、興奮状態が続くことによる神経の疲れだと思います。

肉体と神経は密接に関わっており、過剰な肉体の疲れ・緊張は神経に、過剰な神経興奮は肉体にダメージを与えます。

疲れ=危険信号なので、休むのが一番なのですが、休んでも疲れているから困っている訳です。もしくは危険探知機能である神経がバグっているのです。
そもそも疲れが溜まるとバグりやすくなります。バグる前になんとかしましょう。
バグってからも疲れをとるのは有効なので、バグっている人も続きを読みましょう。

疲れがたまると建設的な行動を取る活力も奪われ、結果的に疲れが溜まっていきます。なんとか元気なうちに解決法を探っていく、これしかありませんね。簡単。

続く

→「入ってくる疲れ(26,27日くらいに更新予定)」

2018年4月16日月曜日

ブログが更新されない言い訳

ブログを書くペースが落ちている。
これに対し、世界中の「夜のカフェテラス」ファンが悲しんでいることだろう。
そもそもこのブログの名前が「夜のカフェテラス」であることを把握していない者は不勉強である。勤勉こそが美徳なのだ。

さて、ホモサピエンスの1億人に1人の割合で紛れ込んでいると言われるこのブログの読者が憤るのも無理はない。
ついこないだまで毎日更新を行っていたブログが週1更新になったのだ。日々の生活に刺激が減ってしまったことを陳謝したい。

主な原因を説明しよう。
早寝早起きがしたい→夜にブログを書こうと思った時はすでに眠い→そもそも夜はポケモン実況動画を見ているため時間がない→ゆえに昼にかかなければならない→最近は昼休みを2時間も3時間もとるような貴族生活が出来ていない→ブログが書けない

ためである。
こうして一度ブログを書かなければブログの書き方を忘れるので更に書けない。
今日は久々に言い訳を羅列しながら、ブログを書き進めている次第である。

しかし、どうしたことか。
週1ペースで更新していた時の文章は、
一つ文を書けば、人々を感涙のあまり号泣せしめ、
二つ文を書けば、天を割り地を砕き滝は逆流し、
三つ文を書けば、マクドナルドの割引額がバーガーキング並みになる
と言われた僕の文章がその超自然的な力を失ってしまっている。

今日の文章を読んで駄文と思われた方はそれが原因だと思ってほしい。
前の記事に感動できない方は感性の発達が遅れている。
不勉強である。勤勉こそが美徳だ。
まずはこのブログ「夜のカフェテラス」の記事を全て遡ることから始めて欲しい。

2018年4月10日火曜日

プリミティブ・ミュージックを聴く

僕は音楽が好きだ。
僕は好きだが君はどうだ。

しかし、そんなことは今日はどうでもいい。
どうでもいいとは言ったが、音楽が好きだと我が身に渦巻くこの葛藤に似た思いも分かってもらえるかもしれない。
いや、やはりどうでもいいのかもしれない。

話が進まないので先に進めよう。
僕は音楽が好きなのだ。
好きなのだから音楽を聴く。

ここに豚カツが好きな男がいるとしよう。
いや確かに僕も豚カツが好きだ。大好きだが、これは僕ではない。
とにかく豚カツが好きな彼は豚カツを食べるが、さすがにずっとは食べ続けられない。
つまりはそれと同じことが僕にも起こるのだ。

例え話が下手で伝わらなかったがしれないが、要は音楽疲れである。
複層的な音楽理論と感情に訴えてくる意図の嵐に疲れたのである。

しかし、そんな時でも身体は音楽を求める。
たぶん豚カツ好きも「もう少しでも油物は食べられない。だが豚カツが食べたい」という状態に陥るだろう。きっとそうなのだ。それが摂理というものである。
とりあえず何かを聴きたい……

そんな時に僕が聴くようにしているのがプリミティブな音楽である。
つまりは現代音楽の思想が流入する前の、民族的(トライバル)で原始的(プリミティブ)な音楽である。

最近よく聴くのは、例えばこれである。




またこれや



これなど




こんな音楽を聴いている。

こうした音楽に宿るのは人間の体に流れる本質的な音楽である。
人間から装飾を剥ぎ取った裸体の美しさ。それに近い美しさである。

口伝のかっちりとしないメロディを合唱した時の音程のブレがエモい。
そんな意味で宗教音楽も良いのかもしれない。
しかし教会音楽や中東の音楽は理論的にまとまり過ぎている。
というわけで日本の宗教音楽(?)でお別れしよう。エモい。


2018年4月5日木曜日

バランス感覚

ぼんやりと前にもこの題で記事を書いた気がするのだが、特に気にしない方針を固めた。
恐れずに被せていこう。

研究室に復帰して半年が経過した。
最初の頃はやや休みがちであったが、最近は午前から午後まで通して大学にいることが出来ている。コアタイムを守っているかは些か疑問である。

まぁ問題は予定の立て方である。
基本的に研究室で行っているのは
・実験
・発表の準備
・掃除など維持作業
・学習
に分けられる。

ここで一番やるべきは発表準備であると考えた。
なぜなら期日があるからである。
期日に向け、だいぶ前からだいぶ余裕のある日程を組んだ。

余裕、というのが全ての前提となる。
余裕がなくなると見積もりが大分がばがばになり、予定通りに行動出来ない。
そもそも計画も立てられなくなる。

というわけで、なんとか日程通りに物事をこなしている。
実験はどうしてもしなければならない物以外は後回しだ。
そんな余裕がない。
学習についても発表に関係ないものはしばらくストップである。

ここで「しばらくやらない」と決めたことで、余裕を持ちつつ発表準備に注力が出来ている。
「やらなきゃいけないのにな」と思わなくて済んでいるのは助かる。
そのうち思うかもしれないが、とにかく気にしないことにした。

こうしてなんとか生活を送っている。
だが木曜朝の掃除には3,4週連続で間に合っていない。
なぜ間に合わないのか、それは覚えていないからである。
スケジュール帳に改めて書き直した。
あとは見る習慣があれば良い。ないが。

2018年4月4日水曜日

祝!エデン名古屋開店!と、そうじバー

最近ブログの更新が悪いが、500円でギターを買ってしまったせいである。
許して欲しい。ギターに罪はない。

さて、ついにバーエデン名古屋が開店した!



初日の内容は「そうじバー」であった。

そうじバーとは何か。
このブログに辿り着いた聡い皆様(もしくは潰しきれない暇に押し潰される皆様)においても、その内容を計り知ることは難しいかもしれない。
しかし、自分を卑下しないで欲しい。
なぜなら参加した僕も分かっていないからである。

ただ、一言で表せばとても楽しいバーだった。

4/1 午前10時 烏森。
少し時間を遡れば約1時間前に上前津駅から歩き始めた。
烏森は名駅から近鉄で数駅だが、上前津から歩いてもいけるのである。
ただ1時間かかるので減量中でない皆様は上前津からのバスで向かおう(210円)
(なお、栄発 上前津経由である)

そんなこんなでバス停 松葉町1丁目に辿り着いた。
烏森駅はこの目と鼻の先。
そして地図によればエデン名古屋は烏森駅の真正面のはずだ。
が、見つからない。


すると

ここだった。
いつの間にか開店時刻が10時から11時に変更になっていたが、それは想定のうち。
しかし、想定はしていたが、何をするかを考えるほど用意周到な人間ではない。

運の良いことに店の真横で桜が咲き乱れていた。
ので、それを見ていた。
あぁ……桜が散ってるなぁ……

(40分後)


ないしま氏が颯爽と登場。
さぁそうじバーの始まりだ!!

そうじバー、それはトレジャーハントである。

長らく使われていない(と思われる)店から使える設備を探し出し、店を使える状態に生き返らせる。ついでに2,3階もシェアハウスにするため軽く片付ける。

戸棚を開ければ意図せぬ物が現れる。
上の階からはとめどなく椅子が下されてくる。

掃除をすれば目に見えて綺麗になっていく。
時間の止まっていた空間で少しずつ時計の針が回り出すのが分かるようだった。

ドラえもんの映画『のび太の日本誕生』をご存知だろうか。
ジャイアンが家を作り、スネ夫が食糧を作り、しずかちゃんが花畑を作る。
(のび太は生命を弄んでいた)

そんな「自分たちで世界を作っていっている」という感じが強かった。
「ビル一つ」の開店作業を行える機会なんてそうそうない。

そうじバーとは「非日常的体験」を売るバーだったのかもしれない。
僕はインディ・ジョーンズの気分が味わえ、エデンは人手が借りられる?
上手く出来たWIN-WINの関係である。
上手く使われてしまった。しかし良い経験を買った。

またエデン名古屋で人手が必要な時は呼んで欲しい、と思える体験だったを
(僕は昼過ぎまでしか居られなかったのが残念)

2018年3月30日金曜日

えらてん記事とやりがいと働きたくない僕

東京でバー・学習塾を経営し、ベーシックインカムハウスの立ち上げを行うなど最近Twitterを中心に一門を増やしつつある「えらいてんちょう」ことえらてん氏がこんな記事を書いていた。

みんなやってる?正しい「やりがい搾取」の方法論 

この記事を読んで、なんとなく自分は「やりがい拒絶」をしているのでないかと思った。
「やりがい」という感情で自分を動かすと、他人に言いように使われるような気がしていた。

そうなるとアルバイトは自分の時間を切り売りするように感じてしまう。
もっと言えばそもそも何のために働くか、ということが分からなくなった。

「お金のため」というのは分かるのだが、お金を貰ってどうしたいのかが分からない。
お金があったらしたい事も特にないし、生きるためならば最終的に生活保護という生き方もある。

一方で人のために何かする、というのは嫌いではない。
疲れてなければ好きかもしれない。
それが好きな人たちのためならば、より好きだ。

サークルのためにフライヤーやパンフを作ったり、動画を作ったりすること。
彼女のために部屋の片付けや皿洗いをすること。

どちらも自分の好きなことである。
えらてん氏の記事でも書かれた「好きなことで貢献」、まさに「やりがい」である。

自分の場合、それがだいぶ身内よりで、非常に内向きである。
しかし、もし今後「この会社のために働きたい」「働く事で誰かのためになりたい」という高尚で意識が高そうな感じなったら、働く事もやぶさかではないのかもしれない。

というわけで少しずつ外を見て回りたいと思う。
外の世界が待ってるぜー。


考えてみればこれも貢献かもしれないが、「エデンバー名古屋」のロゴコンテスト(?)に応募してみた。当選はしないかもしれないが、好きに使ってもらいたいものだ。


2018年3月26日月曜日

いやなトリビア


ぶっ疲れて死にそうだったので、タイムラインを見ていたところ、まくるめ氏が「いやなトリビア」ハッシュを始めていた。

せっかくなので全力で乗っかった。


とか。

意外なことにまくるめ氏にリツイートを頂き、あとでフォロワーが増えていることに気が付いた。
(知り合いにブロックされてたことにも気が付いた)

珍しくなんちゃって生物系クラスタらしさが出せたので嬉し嬉し。


この「いやな」トリビアというのは何か、というのを少し考える。

普通トリビアとは「知っても得しない」けれど「話題のネタにはなる」トリビアである。
基本的には聞いて「へー、面白いね」となるような雑学だろうか。
人は無駄な知識でも面白いと思える便利な生き物である。
教養を高めていこう。

さて、これの逆をいけばいいだろう。
つまり「知って損をする」「話題のネタにならない」「面白くない」ような雑学である。

知って損をする、とは知らない方が良かった話だろうか。
僕のツイートの中ではこれかもしれない。


今まではブルドッグを見れば、「可愛い」となっていたのが、「帝王切開」がセットになって想起される。可愛さにマイナス要素が付加される。
人間が悪いよ、人間が。家畜に愛はないので良いですが。

知ったことで、今まで持っていた価値が減少する知識。
つまり「損をする」知識である。

あとは「話題のネタにならない」ですが、下ネタにもならないエグみの強いネタ(カエルの死姦)など。
「面白くない」というのは個人の判断なので難しいですね。

結果、「不快な知識」ということになりますね。
雑にまとめました。生理的嫌悪を引きおこしましょう。

なんというか、別にわざわざ解説しなくても、タイムラインを覗けば、「〇〇って良いよね」という無邪気な呟きに対して、「〇〇って本当は、××なんだけどね」と水を差す呟きが幾らでも見られる気がしてきた。
これからも正しさで楽しそうな人達を殴っていこう。
それが僕らインテリもどきの義務である。

2018年3月22日木曜日

話しやすい対象への考察

半年ほど過ごした研究室に後輩が入ってきた。
厳密には4月からだが、ときどき見かけるようになった感じである。
これがですねー話しやすいんですねー(ムツゴロウ風)

さて、この話しやすさはどこから来るのか。
そして、逆に話しにくい相手は何が原因なのかを考察していきたい。

まず後輩であるが、大体の後輩に対しては話しやすい。
これはおそらく僕の方が立場が上だからのように思える。
と言うと「後輩に対して威張る先輩」という死すべき人間像が浮かんでくるが、僕はこれでも後輩に対して腰が低いつもりだ。
(実際にそう思われているかは分からない。死すべきと思われている可能性も十分にある)

まぁ立場が上というか、ちょっとばかし分野に知っているというか。
良い言い方をすれば「相手に貢献しやすい」とも言える。

逆に先輩やもっと年が上の人はどうか。
先輩の場合は、「反応が分かりやすい」人ほど話しやすい。
何を話せばいいか分かりやすいからであると思う。
これも「貢献」かもしれない。
つまりおばちゃんお姉さんぐらいがちょうどいいのである。
お姉さんは何を言っても若者を可愛がってくれる(仕事を一緒にしない限りは)

さて、僕が話づらい相手を考えていたのだが、やはり怖い人である。
怖い人とは僕を怒る立場の人に相違ない。
やはり「怒られるか否か」が安心感があるかないかにつながり、最終的には話しやすいか否かにつながるように思う。

とにかく怒られるのが苦手だ。
怒られそうな人には全く話しかけられない。
ゆえに自分の上司(担当教官)に中々話しかけられないというヤバい状態が発生する。
いまの担当教官はお姉さんであるので話しやすくて非常に助かっている。
(将来的に上司が出来る予定はない(就労予定がない)のでこのまま逃げ切れ)

そう考えてみると、後輩にはそうそう怒られないだろう。
それに後輩は気を使ってくれる。
気を使ってくれる優しい怒らない人が僕は好きだ。
僕もそういう人達にぼちぼち恩を返していきたい。

なんと春から研究室に来る後輩に向けておすすめのレビュー論文も用意している。
後輩は優しい。優しい人と生きていきたい。そんな2018年春。