2018年4月10日火曜日

プリミティブ・ミュージックを聴く

僕は音楽が好きだ。
僕は好きだが君はどうだ。

しかし、そんなことは今日はどうでもいい。
どうでもいいとは言ったが、音楽が好きだと我が身に渦巻くこの葛藤に似た思いも分かってもらえるかもしれない。
いや、やはりどうでもいいのかもしれない。

話が進まないので先に進めよう。
僕は音楽が好きなのだ。
好きなのだから音楽を聴く。

ここに豚カツが好きな男がいるとしよう。
いや確かに僕も豚カツが好きだ。大好きだが、これは僕ではない。
とにかく豚カツが好きな彼は豚カツを食べるが、さすがにずっとは食べ続けられない。
つまりはそれと同じことが僕にも起こるのだ。

例え話が下手で伝わらなかったがしれないが、要は音楽疲れである。
複層的な音楽理論と感情に訴えてくる意図の嵐に疲れたのである。

しかし、そんな時でも身体は音楽を求める。
たぶん豚カツ好きも「もう少しでも油物は食べられない。だが豚カツが食べたい」という状態に陥るだろう。きっとそうなのだ。それが摂理というものである。
とりあえず何かを聴きたい……

そんな時に僕が聴くようにしているのがプリミティブな音楽である。
つまりは現代音楽の思想が流入する前の、民族的(トライバル)で原始的(プリミティブ)な音楽である。

最近よく聴くのは、例えばこれである。




またこれや



これなど




こんな音楽を聴いている。

こうした音楽に宿るのは人間の体に流れる本質的な音楽である。
人間から装飾を剥ぎ取った裸体の美しさ。それに近い美しさである。

口伝のかっちりとしないメロディを合唱した時の音程のブレがエモい。
そんな意味で宗教音楽も良いのかもしれない。
しかし教会音楽や中東の音楽は理論的にまとまり過ぎている。
というわけで日本の宗教音楽(?)でお別れしよう。エモい。


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