2018年3月19日月曜日

ギークハウスのドキュメントを見た話

先日、ザ・ノンフィクションでギークハウスが取り上げられていた。
前回の放送が好評だったようで今回は特別編となる。

前回の放送時はツイッターで流れてくるテレビ画像を見て、「何だこれは」と思っていた僕だったが、それから今回までにphaさんを始め色々と界隈についての話を見てきた。
今回はしっかり録画をして見ることに成功した。

「社会に適合できない」という悩みはあるか。
みんな何となく笑いながらそう口にするが、何となく就活して、働いて、社会になっていく。

phaさんは京大卒業後、仕事に就くが社会に馴染めず退職。その後、仲間を集めてシェアハウスを作った。その後も定職にはつかず色々なことをやりながら、頑張らない生き方をしている。そのシェアハウスに住むのも、どこか社会に馴染めない人々だ。
今回は4年間の軌跡と、漫画家 小林銅蟲が連載を得て、結婚していくまでを追っていた。

僕も割と社会に馴染めない方である。
友人とかサークルとか、そういう繋がりでは振る舞えるが、「責任」というものが嫌いだ。生理的嫌悪に近いものを感じる。
アルバイトが続かないとか、同じようなリクルートスーツを着た就活生の集団を見ると胃が痛くなるとか、そういうのは同じところに起因するのだと思う。

phaさんがシェアハウスを作った理由は色々と述べられていたが、総括すると「人は集まっていれば死ににくい」という事だと思う。
「面白い人には死んでほしくない。だから居場所を作りたい」
phaさんはそんな思いを語っていた。

phaさんが学生時代を過ごした京大熊野寮、ここでの経験がシェアハウス作りに活かされている。
自分が「結構ダメな人間」でも、もしそうなったとしても、それでも居られる場所、受け入れてくれる場所。
京大の「自由」で他人に干渉しすぎない校風がそんな場所を作って居たのかもしれない。

大学生の頃の僕もあまり出来た人間ではなかった。
学業に打ち込まず、バイトに打ち込まず、生活を整えない日々を送って居た。
それでもいくらでも居ていい場所がサークルだった。
割とうちのサークルは変な人間に寛容だったのが良かったのかもしれない。

自分が居ていい場所がないと人はやはり死ぬだろうな、と思う。
孤独に苛まれ、冬の海に飛び込みたくて仕方がなかった事もあったが、何とか生活を立て直すことが出来たのは、やはり居場所があったからだと思っている。

phaさん自身が語るように、これから5年後10年後、ギークハウスがどうなっていくのかは分からない。もしかしたら居場所はなくなってしまうかもしれない。
社会に馴染めない人間の一人として、今後の動向を見てゆきたいと思う。


P.S.
ギークハウスだが、名古屋にも名駅の裏に「ギークハウス名古屋」がある。
以前僕もお邪魔させていただいた事がある。
もし興味がある方は調べてみて欲しい。では。

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