2017年11月12日日曜日

鏡ヶ池④

「いやいやご苦労様としか言いようがないね。本当に助かったよ」

山岸は手をこね、にやにやしながら茶封筒をカバンから出しこちらに寄越す。
ガーに遭遇した翌日、報告のため俺はまたCal:BOで山岸に会うことにした。
モーニングが終わったばかりの店内は、あいも変わらず俺たちの他に客はいない。
マスターが趣味でかけたボサノバだけが静かに空間を埋めている。

「それは成功報酬……みたいなものかな。まぁ後で確認しといてくれ」
山岸はそう言うと、マスターを呼びコーヒーを注文した。
ついでに奢らせてやろうと、俺もモンブランとコーヒーを頼む。

あの日、飛び上がったガーは、池に戻った後もしばらく水面あたりを遊ぶように泳いでいた。
俺は山岸に渡された紙の内容を大声で読み上げた。


「兄弟よ、先に立つことを許してくれ
はらからを残していくことがどれほど辛いかお前にもわかるだろう
どうやら私は極楽に行けるらしい
この異国の地で疎まれた私が極楽に行けるとはなんとも不思議なことだ
だから私のことは心配するな お前はお前の成すべきことをしろ」

以上を読み上げるのに7回の息継ぎをし、最後に激しくむせた。
ガーに聞こえたかは些か疑問だったが、ガーは少ししてから再び深く深くへと潜っていった。姿はすぐに見えなくなった。

モンブランを食べ、山岸と世間話をしばらくしてから家に帰った。
コートのポケットの物を布団の上に投げ捨て、自分も身を投げ出す。
寝転びながら茶封筒の口を破る。中から今回のバイトの二日分ほどの給与が出てきた。
これが成功報酬というやつか、と思ったが、札の間に一枚の紙が挟まっていた。
紙は栞のような大きさで、釈迦と二匹の異国情緒あふれる魚の絵が描かれていた。



その夜、夢を見た。
金属のように光る鱗の魚の上に、お釈迦様が立っている。
池で見た魚よりも薄白く、それがガーの兄弟だと俺には分かっていた。
お釈迦様は何も言わずにこちらを見ていたが、やがて魚とともにどこかへと消えていった。

次の日、昼前に目覚めた俺は布団を何度かひっくり返したが、ついぞ栞を見つけることが出来なかった。
代わりに枕元で見覚えのない小さな赤い布の袋を見つけた。
その布袋からは、樟脳に少し似たどこか優しく懐かしい香りがした。


P.S.
後日そのことを山岸に伝えたところ、「おそらく匂い袋だろう」と言っていた。
それから少し黙ってから、「そういえば、あのガー。どちらがお兄さんだったんだろうね」とつぶやいていた。
魚に兄も弟もあるのかと思ったが、なんとなく鏡ヶ池のガーが弟のような気がした。
池で張りこんでいたせいか俺は風邪を引き、再履修の講義でCを取った。

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