2018年2月1日木曜日

かけ湯依存症

お風呂の醍醐味はなんだろう、とまずは考えてみて欲しい。
長湯して体の奥から温まるのも良し。
温泉ならば薬効などもあって心身ともに健やかになるかもしれない。
リラックス効果も大いに期待できるだろう。
人によっては湯上がりに飲むフルーツ牛乳かもしれない。
(いちご牛乳派はよくわからない。なぜなら僕はフルーツ牛乳派だからだ)

しかし、「入浴」という行為におけるピークはどこかと今一度考えてみて欲しい。
それは「湯船に入った瞬間」ではないだろうか。

特に冬場である。
風呂に入るために脱衣所で服を脱ぐ。
服を裏返したり袖を戻したりなどしている間にどんどん体が冷えていく。
浴室に入り、軽くかけ湯をする。
やれやれようやくだ、そんなことを考えながら湯船に浸かる。

その瞬間は宇宙である。
浴槽に入った熱い湯はまるで母なる海のように冷えた体を包み込んでいく。
自分と湯との境が曖昧になって、自分が消えていく。
あぁ自分とはなんと...なんと矮小な存在だろうか!
もはや感嘆の声をもらさずにはいられない。
僕は「はぁぁぁぁああ」と長めの息を吐く。そういう年なのだ。

とにかく、湯の塊に冷えた体が包まれる瞬間。
この瞬間こそが入浴のピークであると僕は考えている。

そんなことを考えている中で最近一つの発見をした。
体が温まったので湯船から出て体を洗う。
その日はいつものようにシャワーとはいかず、戯れに熱い湯をカランから洗面器に溜めてみた。(念の為に言っておくと、カランは風呂場の蛇口のことである。たぶん)

洗面器から湯を首筋にかける。

その時僕は大いなる発見をした。


なんと、その瞬間こそ、入浴のピークたる瞬間と瓜二つだったではないか!!

つまりは湯船から出ることで多少体の熱が放散した状態で、熱い湯を首筋にかけることにより、湯船に入った瞬間の快感を模倣することが出来る、僕はそういう発見をしたのだ。

これに気がついてからは、洗面器に湯を張って首筋にかけるという行為を必要以上にくりかえすようになってしまった。
厳密に言えば、湯船に入った瞬間よりも「包まれる」面積の少ない分、その刺激は穏やかなものである。
が、しかし首筋に限定してかけることで、感じる刺激がより鮮明なものになり、癖になる快感であるのだ。もう昔には戻れない。

もしかすると、これを繰り返すと体にあまり良くないのでは?
と若干思わなくもないが、気持ちがよいのでこれからも続けていきたい。
ばしゃー

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