2018年2月22日木曜日

怖い話の楽しみ方

世の中にはいろいろと怖いものがある。
直近では研究室の全員に参加が求められている卒業論文発表練習会をすっぽかしたのに気が付いたのが一番怖かった。ごめんなさい。

まぁ交通事故だの通り魔だの怖いものが多い中で、ついつい触れたくなってしまうものもある。
例えば僕は幽霊が怖い。
幽霊は存在すると思っているし、怖い話を聞くと眠れなくなったりする。
(科学的な存在はしないかもしれない)

しかし、どうしても好奇心によってついつい怪談を聞いたりしてしまう。
ただ、驚かせる系は怖い上に嫌いなので、お化け屋敷やホラー映画は苦手だ。

怪談は(語り手にもよるのだろうが)話自体が面白い。
普段自分が触れないような境界の向こうの話、というのは不思議でどこか神秘的ですらある。

そういえば、こないだ初めて怪談を聞きにいってきた。
「事故物件住みます芸人」を自称し、自殺や他殺の起こった部屋を渡り歩く松原タニシさんのトークライブである。
芸人さんということもあり、笑いどころも多く、それでいてじんわりと怖い話を幾つもして頂いた。

さて、こうした怪談、「怖い話」というのは二度楽しめると思っている。
まず話自体が面白く興味深い。
これが一つ目。

もう一つは自分の変化である。
普段人は外からの刺激によって少しずつ変化をしているのだが、それを意識することは結構少ないように思う。

しかし、怪談を聞いたとき、人は嫌でも自分の変化に気が付くこととなる。
(僕は怖がりなので特に)
普段は何も感じないところに何かの存在を感じる。
賑やかな街の隙間の静寂を感じる。
風が肌を撫でるのを感じる。
普段意識に上らない小さな変化を感じる。

そしてシャンプーをしている時に視線を感じるのである。
ぜひ読んでいる方も後ろから向けられている視線に早く気づいてあげて欲しい。

P.S.
「科学的な存在」というのは、「科学的な手法によって存在が確認できるもの」が「存在する」となる、科学的な定義によるものである。
おそらく幽霊というのは存在の科学的な証明が出来ないだろうし、将来的にされることもないと思う。
だから科学的に幽霊は存在しないのだが、それでも幽霊の存在を信ずるのは、僕の非科学的な部分への信仰であるし、また、様々な事象の複合が幽霊を存在たらしめることもあると思っているからである。

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