2018年2月5日月曜日

本との出会い(中高編)

図書館というのは良いものである。
静謐な空間にいると、世間の波から逃れてひと時の安らぎを得られる。
気がする。

僕は中高6年間と男子校に通っていたのだが、年に一度くらいは励んで図書館に通う時期があるものだ。学校なので図書室と呼ぶことにする。
「よーし、文学少年を目指すぞー」と思って昼休みなどに足しげく図書室に通ってみるのだが、大体1か月とたたずに飽きて行かなくなる。これを約6セットである。

他の学校にもいるのか分からないが、図書室には司書さんが3人ほどいて、しばらく通うと顔を覚えられた。延滞があると気まずくてなかなか行きづらい。
その結果、より延滞を重ねてしまうのだ。難儀。

うちの学校の図書館であるが、どうも並べてある本がおかしかった。
いわゆるベストセラーやロングセラーはとりあえず置いてある。
男子校の学生が大好きなライトノベルも多少だが置いてある。
(『僕にお月様を見せないで』は僕も読んだ。なつかしの阿智太郎である)

本学の学生は変わり者や変わり者気取り(僕はこっち)が多かった。
そういった者たちほど本補充のリクエストを出す。
それが独特な並びの一因であろう。
実際、僕も寺門ジモンのグルメ本を何冊か入れてもらった。
高校生はいつも腹を空かしているのだ。

男子校だからか、やはり科学やパソコン系の本が多かった。
しかし、棚を変えると、明らかにOL向けの美容の本や星占いの本などが並んでいたりする。
OLがリクエストを出したか、「うちの学校のOLに是非読んでもらおう」と学校に導入されたかどちられであろう。しかし本学にはOLはいないはずだ。第一、女生徒もいない。

「男にも女性向けの知識を」というのは分からないでもないが、それにしては軽薄な本が並んでいる。これが俗に言う「OLの謎」である。

一方で、図書室の隅には僕が好きな棚があった。
そこには大判の写真集などが立ち並んでいる。
「廃墟写真集」や「工場写真集」などを借りてよく読んだものだ。

考えてみれば、大して小説も借りていなかったのだから、文学少年を目指すも何もあったものではない。
当時の僕には「人と違う面白い人になるには、人が読まない本を読むべきだ」という確固たる信念があり、すでに中二病からにわかサブカルクソ人間へ移行する兆しがあったのかもしれない。

実際、図書室の本から多感な時期の少年は色々な影響を受けた(悪影響とは限らない)

奈須きのこ『空の境界』を読んだ。「活人形(いきにんぎょう)」を知った。
後にトーキング・ヘッズなどのアングラ系へ少し足を踏み入れるきっかけになった。

前述の廃墟写真集を読んだ。退廃的な物への郷愁に似た固執を得た。
工業的な物が自然に帰る過程に美しさを感じた。

水野仁輔の『カレーになりたい』にも図書室で出会った。
これをきっかけにカレー作りを始めた。
この本の巻末の刊行一覧でバクシーシ山下を見つけたのも覚えている。

そういえば『多肉植物辞典』や『コーラ白書』などもあった。
ハンバーガーの歴史に関する本も置いてあって熟読した。

考えると、今の自分につながる出会いが多かった。
しかし少年は、「他人と違うもの」を指向したがゆえに、「他人と違うもの」を嗜好するに至ったのだろうか。
それとも元々少年にはそういった気質があったのだろうか。

本当のところは分からない。
しかし、様々な本が置いてある図書室で世界が広がったのもまた事実なのだろう。

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