2017年12月3日日曜日

迷子

辞書によれば迷子とは「道が分からなくなること」「連れとはぐれること」を指す。
自分が迷子と言う時は主に後者のことである。
散歩が好きで、特に狭い路地の方に好んで進んでいくため、よく道は分からなくなるのだが、あまり迷子という感じはしない。
やはり迷子とは親や友達たちなどからはぐれ、一人きりで寂しく途方に暮れることに相応しい言葉であると思う。

迷子になった記憶で一番思い出深いのは、いつかの夏のことだったと思う。
まだ年端もいかぬ頃の話、おそらく幼稚園の頃だった。
途方に暮れていたのだ。
視界には人が何人も行き交っているが、そこに知った顔は一つもない。
右も左も分からず、このままずっと一人きりなのではないかと不安になった。子供の感情というのは振れ幅が大きいもので、僕もまた寂しさで胸が苦しくなり、眼からはいつの間にか涙が溢れ出ていた。
ただ一人でいることが寂しく、不安で、恐ろしく、そしてどうしようもなく悲しかった。


確かに母に「タコを見に行く」と言ったのだが、何故か合流が出来なかったのだ。
僕は薄暗い廊下でめそめそと泣いていた。もしかすると、わんわんと泣いていたかもしれない。
そこは水族館だった。
幼き僕の不安・悲しみ・恐怖は推して知るべし。

それからどうなったかだが、なんとかなったので20数年経って文章に起こしている。
(余談だが当時の名古屋港水族館は全区域にアナウンス放送を流すことが出来ず、色々と大変だったようだ。現在もそうかは不明)

いまでも時々迷子になりそうなことがある。
寂しく、恐ろしく、悲しい感情に襲われることがある。
はぐれかけた自分をなんとか合流させ、それを何度も繰り返しながら、僕はぼちぼちと道を歩いている。

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