2017年12月29日金曜日

何故に読書

読書をする。
なにゆえに書を読むのか、と聞かれた時のために、ここしばらく答えを考えていた。
せっかくなので僕は「娯楽」と言い切りたいと思う。

ただ「美味しいものが食べたい」や「可愛い女の子とお酒が飲みたい」と同じ感覚で「面白そうな本が読みたい」のである。
本を読んで成功したいとか、本を読んで成長したいなどは二の次三の次である。

しかし、本を読んで何かを学ぼう、という思いがないわけではない。
何かを知り、それが自分の中の別の知識と繋がって網目のようになっていく。
これは非常に気持ちが良い。
美味しいもので適度にお腹を満たすよりも、更に素敵な快感が走る。
ただ、それを何か学業や将来につなげようという思いが、どうも自分にないのである。

本を読んで知識を得て、知識を繋げて、悦に入る。
ここまでが自己完結していて、社会との接点があまりない。
誰かと読んだ本について語り合いたい、という思いも特にない。
語り合ったら楽しいのだろうが、中々そういった機会に恵まれないため、おまけのおまけ程度に考えてしまっている。友達が少ないわけではない、決して。

自分にとって読書とは習慣であり、あるいは脳を調教し、快感が生まれる回路を構築させた結果の行動なのかもしれない。

ところが、最近少し変化が生まれている。
自分の中に溜め込んでいた物を、ふわっと空気を含めて混ぜ合わせ、自分から出していくことを始めた。
その一つがこのブログである。

そうすると、今まで自己完結だった読書に間接的ながらも社会との接点が生まれたような気がする。
人は変換器である。
僕が読んだ本やプレイしたゲームの諸々が、僕という変換器で貌を変えられて、文章となり出力されている。
多少の紙詰まりなどは許して欲しい。

そして来年もまた良ければブログを読んで欲しいのである。

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