2018年1月25日木曜日

友よ、期待してくれるな

期待されるのが苦手だ。故に僕になるべく期待しないで欲しい。
人というのはいつのまにか他人に期待して、他人がそれに沿わないと怒ったり悲しんだりする、実に勝手な生き物である。

そういう僕もなんとなく人に期待していて、それが叶わない時には怒ったり悲しんだりしている。お店の人は笑顔を見せてくれるし、LINEはすぐに返ってくるし、明日の天気は晴れだ、となんとなく思っている。
そういう期待が何世代も重なって「礼儀」とか「常識」とか、もっと言えば「法」とかが作られているのかもしれない。
挨拶も貸した金も返ってくるはずなのだ。
みんなが「普通に」期待することだから、それが正しい事になっているのかもしれない。

マナーの押し付けは、期待の押し付けみたいなところがある。
別にそれはあなたが勝手に期待しているだけで、僕がそれを守らなかったからといって怒られても困る、ということもままある。
「お前のルールなんて知らないよ」なんて思って適当にしていると「常識がない」と言われて、よく信用をそこら辺に落としている。どうやら彼だけでなくみんなが期待する「常識」というやつだったらしい。これは線引きが難しい。まぁ常識を守らなきゃいけないという事もないのだけれど。

アドラー曰く、相手の怒りなどは「相手の問題」である。相手が怒ることは、相手が自ら行う行為であり、それに拘泥する必要はないと言う。
僕もそれには賛成だけれど、そう生きられるほど強くないので困ってしまう。
人の期待に沿わない、というのは自分でレールを敷く必要がある。期待に沿わなくていいので、それをサボるも自由だ。となるとサボってしまう気がするし、色々なことが適当になってしまう気もする。
自分で定めたルールを守るというのはなかなか大変なことなのだ。

まぁそれでもどうも人の期待に応えるのが苦手なのだ。
諦めでもあるし、開き直りでもあるが、かっこつけでもある。むしろかっこつけである。
自分の磁石はどちらを向いているか。

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