2018年1月4日木曜日

休み明けの憂鬱

冬休みが終わった。
1/3までの休みなので、正月休みとか年末年始休みという方が正確には違いないのだが、冬休みと呼ぶことで子供心を体に留めている。

1/4の今日から研究室に来ているのだが、まぁやる気が出ない。
こういう時に嫌に真面目になって自己嫌悪などしてしまうのは良くない。
真面目なのは良いことだが、同時に視界が狭まり目の前の物しか見えなくなることも多い。
一回、肩の力を抜いて傍観してみれば、みんなやる気もなくぽつぽつとやっている中で、一人焦って苦しんでいる、ということが起こりがちである。

大体誰だって休み明けは調子が出ないものなのだ。
ただその程度に多少の差がある。
おそらく僕はその「調子の出なさ」が人一倍酷い方だと思う。
これを引きずり長引かせると色々とまずいことになるので、上手くエンジンを温めなければならない。

大体、高馬力のエンジンほど長く放置したらかかりにくいものなのだ。
僕は機械に詳しくないから、想像で言っているが、たぶんそうだ。
というわけで忘れた習慣を少しずつ身体の記憶から呼び覚まさねばならぬ。

とりあえず嫌々でも研究室に出て来た。
もうこの時点で僕は自分のことを素晴らしいやつだと思ってやることにした。
年末年始の間、ただ餅を食べてはごろごろするだけの生活をしていた。
「我々の体は食べたもので出来ている」とはよく言ったもので、なるほど僕の体は餅のようになっていた。腹もよく伸びる。
新生児の体重程度肉は増えたような気がする。
その身重の体を引きずるようにして来たのだから褒められて然るべきではないか。

と思い、あとはコーヒーでも飲みながらだらだらして、最低限 of 最低限のことだけをこなしてきた。まぁそれでも2,3はやるべき事をやって、あとは適当にやりたい事をやっていたから、今日は行った価値があったような気がする。
それに、今日を踏まえて明日は多少体も動きやすくなっているはずだ。
人の体はそういう風に出来ている。少なくとも僕はそうだ。
やはり行った価値があるなぁ、と思いながらコーヒーをずびびと飲む。

さて、自分で「価値がある」「意義がある」と思えることがやはり重要で、人は価値のないことをやっていられない。
昔の牢獄で、「穴を掘り、ある程度の大きさになったら、その穴を埋める」という罰が行われていたという。これに従事した囚人は気が狂ったと言われている。
何か「まぁ意味はなくないよな」と自分をごまかしつつ動かしていくのが良い気がする。
結果として色々とやれているのだ、嘘も方便である。

そんな感じで今年は上手く自分の身体を操って生き延びていこうと思う。
あとは餅のような身体に焼きを入れ、やきもちの一つも妬いて貰えるような人間を目指そうか。

追伸 :
ちなみに友人は一人で砲丸を投げ、グラウンドに自分で空けた穴を埋めて、また投げて、と繰り返していたところ、たまらなく辛くなって陸上部を辞めたそうだ。当たり前だと思う。


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