2017年10月25日水曜日

憧れ

今は昔、子供の頃を振り返って欲しい。
具体的には小学生中学年くらいを振り返って欲しい。

その頃、冒険王ビィトや陰陽大戦記のアニメを見ていた僕らが、「高校生」の象徴として崇めていたものはなんだっただろうか。
それは「現国」である。少なくとも僕にとっては「現国」であった。

「ゲンコク」−−−なんとも甘美な響きである。
まだ若かりし日の、鼻水を袖で拭いてかぴかぴにしていた僕たちが、「国語」と呼んでいた授業を、年上の素敵な女性たちは「現国」と呼ぶのだ。
僕はそれをドラマやアニメで聞いては、まだ見ぬ高校生活に、「現国」の存在する高校生の一日に思いを馳せていたのだ。

いつか高校で現国の授業を受ける日がくるのだ。
素敵な同級生の女の子と屋上で弁当をつついたり、夜の校舎に忍び込んで校庭にミステリーサークルを描いたりする、そんな日が来るのだ。
「ゲンコク」を聞くたびに僕はそんな夢を思い描き、自分の口でその音を囁いた。

いつのまにだろうか、月日が流れていった。高校生になった僕は「現国」に出会うことが叶わなかった。それは奇しくも、「現代文」と呼ばれていた。
憧れ続けきた、夢見つづけてきた高校生活には、「現国」は存在しなかった。学校帰りにマクドナルドでポテトをシェイクにつけながら、一緒に生物の課題をやってくれる女子高生の同級生も存在しなかった。
憧れは、存在しなかった。

今は昔、高校生の頃を振り返って欲しい。
憧れの大学生活の象徴はなんであっただろうか。
僕にとって、それは「休講」であった。
そして今、憧れの社会人を象徴するものは「ボーナス」である。

僕は成長した。
ぼんやりとした憧れは、「休み」と「金」に具体化された。
しかし。しかし僕はやはりどこかに、現国を忘れてきてしまった気がする。

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