2016年11月23日水曜日

やりたくないこと

今、この瞬間、とても満ち足りていて幸せである、というのは嘘ではなく事実である。

家族との仲も良好だし、特に欲しいこともやりたい事もない。何よりもやらなければならないことがない。

自分にとって時間を縛られることは、とてつもなくストレスであり、もはや苦痛である。瞬時に胸から胃にかけて苦しくなり気分不良がもたらされる。
今日は5時で帰れると思った時に急な用事を入れられ、帰るのが遅くさせられた時などは全てを投げ出して帰るのをギリギリで踏み止まってなんとか今まで生きてきた。
それが出来ないから今仕事がないとも言える。

なぜそこまでの苦痛をもってして働かなければならないのか。「生きていけないから」なんてのは分かっている。親の脛をかじって生きていけるのにも限界がある。

しかしである。なぜ生きるために「やりたくない事」をやらなければならないのだ。それは最早、「やりたくないことをやるために生きている」のと何が違うのだ。
「仕事が終わった後の解放感」だの「山を越えた後の達成感」だのあるかもしれないが、それは「拷問の後のスープ」ではないのか。なぜたかがスープのために人生のほとんどを拷問に捧げる必要があるのか。

人はなぜ生きる。
生きるために苦痛を強いられるなら、生きる意味などあるだろうか。

ただ僕はこの平穏がずっと続いて欲しいだけなのに。

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